嫌われ者「大久保利通」権力を欲し続けた納得の訳

身をもって世の理不尽さを味わった青年時代

真山 知幸 : 著述家 著者フォロー

2021/10/31 10:30

薩摩藩の下級武士の家に生まれた大久保利通にはあるトラウマがありました(写真:kohchan/PIXTA)

倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。
「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。
こんなイメージすら持たれているようだ。

薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
嫌われ者の大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。
その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第2回は、大久保が権力を握ることの重要性を認識した青年時代のトラウマについて解説します。

大久保家のトラウマ「お由羅騒動」

大久保利通がこれほど不人気な理由は、盟友の西郷隆盛を自刃に追いやった影響が大きい。
だが、それだけではない。

薩摩藩の貧しい下級武士の家に生まれた西郷と大久保は、2人とも実力者に近づいて出世した点でよく似ている。
西郷は薩摩藩11代藩主の島津斉彬に、そして、大久保は斉彬の異母弟にあたる島津久光に引き上げられて、中央の政治へとかかわっていく。

だが、西郷の道のりは挫折の連続だった。
斉彬が急死して後ろ盾をなくすと、西郷は実に2回も島に流されている。
大久保とともに倒幕を果たして明治政府を樹立したあとも、西郷は征韓論をめぐり首脳陣と対立して下野。
不平士族に担がれて、西南戦争へと突入することになる。

一方の大久保はといえば、久光にチャンスを与えられて以来というもの、一度もドロップアウトせずに、のしあがっていった。
明治政府が樹立されてからも、権力を奪われることなく、暗殺されるまで権勢を維持している。

不器用な西郷に、うまく立ち回った大久保。
その構図が不人気の原因ともなっているが、大久保が一度つかんだ権力を手放さなかったのは、青年時代のトラウマがあったからだといわれている。
それは「お由羅騒動」による父の失脚だ。

嘉永2(1849)年、「お由羅騒動」と呼ばれるお家騒動がなぜ起きたか。
薩摩藩10代藩主の島津斉興が長男の斉彬ではなく、側室のお由羅との間に生まれた久光を後継者にしようとしたのが、そもそものきっかけである。
斉興は、長男の斉彬を藩主として担ごうとする一派の動きを察知すると、それを返り討ちにして首謀者たちに切腹や遠島、謹慎などを命じた。

この「お由羅騒動」によって、大久保利通の父、利世は斉彬一派として遠島、つまり、島流しにされてしまう。
そのとき、20歳だった利通は、藩の文書を取り扱う記録所で働いていた。
だが、父の失脚によって職を奪われることになる。

一家を支える決意を固くした大久保

父の利世が流された島は、奄美群島で最も北東部に位置する、喜界島である。
地図で見てもらえばわかるが、まさに絶海の孤島だ。
いよいよ鹿児島から島に流されるという日に、利通は母、そして妹とともに、埠頭まで父を見送りにいっている。

過酷な環境下にある孤島で、父が何年過ごすかも、また、生きて帰って来られるかどうかもわからない。
母は病気がちで、妹は3人もいる。
これからは自分がしっかりして、一家を支えていかなければならない。
利通はそんな決意を固くしていたに違いない。

見送りに連れてきた11歳の妹が、父との別れが近づいて思わず泣きだすと、こんなふうに声をかけている(『大久保利通伝』、現代語訳は筆者)。
「そなたも武士の娘ではないか。涙で父の出発を見送ってはいけないよ。父が心配するじゃないか」
それから時を経て、のちに利通自身が9人の子どもの親になると、ずいぶんと溺愛したらしい。
明治新政府での重責を背負いながらも、出勤の直前に5分でも時間があれば、書斎に招いて子どもたちと戯れたという。

あの厳格な大久保利通が……と子煩悩ぶりを知って驚く声もあるようだが、多忙の間を縫って団らんの時間を作ったのは、家族が離れ離れになるつらさを、このときに痛感したからではないだろうか。
父の利世が島に流された期間は実に3年に及んだ。
大久保家はその間、貧窮にあえぎ、食べるものもままならない状態へと追い込まれることになる。

「お恥ずかしい次第ですが、返済の支払いを延ばしてもらえないでしょうか」
大久保利通が父の知人に宛てた借金の手紙は、島に流された1年後の6月28日から、何通も続く。
その文面からは生活の苦しさが伝わってくる。
刀を担保にして借り入れをしても、まだ足りずに、家財まで切り売りしたようだ。

利通自身も半年にわたって外出を禁じられたため、ひたすら読書に励みながら、いつか来るはずの夜明けを待ち続けた。
その間、利通がどんな思いでいたかはわからない。
だが、別れ際の父の悠然とした態度は心にいつまでも残っていたことだろう。

いよいよ島流しにされるとき、父は2人の役人に対してこんなことを言った(『大久保利通伝』、現代語訳は筆者)。
「お前たち油断しないほうがいいぞ。私は隙を見て逃げるかもしれないからな」
強がり以外の何物でもないが、窮地に陥っても威勢のよさを失わない父を見て、利通も奮い立つ気持ちがしたのではないだろうか。

祖父もかつてお家騒動で苦境を味わった

また幼き自分に教えを授けてくれた、母方の祖父にあたる皆吉鳳徳(みなよし・ほうとく)のことも思い出されたかもしれない。
蘭学に優れていた鳳徳は、驚くべきことに独学で西洋型帆船の模型を完成。
海防を担うべく薩摩藩に重用されようとしていた。

だが、鳳徳もまた薩摩藩のお家騒動に巻き込まれている(「近思録崩れ」)。
鳳徳は島流しにはされなかったものの、30代で蟄居という憂き目にあった。
蟄居が解けたあと、鳳徳は藩に仕えることを拒否。
頭を剃りあげて、牛の背中にまたがり、市中を闊歩したというから、相当な奇人である。
利通が8歳のときに、鳳徳が亡くなるが、その生き様は父と同様に、心に刻まれたに違いない。

祖父は理不尽な蟄居を乗り越えて自由人としての人生をまっとうし、父は今まさに孤島で一人、不遇を受け入れて歯を食いしばっている。
自分だってやれるはずだ……。
そうして逆境に立ち向かいながらも、大久保の胸には、こんな思いも去来したのではないか。
権力者の側に立たないことには、祖父や父、そして今の自分のように、理不尽さに苦しめられ続けることになる、と。

西郷の援助も受けながら、極貧時代を乗り越えた大久保。
やがて「薩摩の国父」となる久光の後ろ盾を得ながら、大きく飛躍することになる。

(第3回につづく)

【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家(日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一著、守屋淳翻訳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)

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