幕末の戊辰戦争であの「錦の御旗」を作った?大久保利通の愛妾・杉浦勇とはどんな女性だったのか

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♪宮さん宮さん 御馬の前に
ヒラヒラするのは何じやいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ……♪

※大村益次郎「宮さん宮さん」

時は幕末、新政府軍の陣頭に燦然と翻った錦の御旗(錦旗)。朝敵征伐の大義を高らかに示したその旗は、実は偽造されたものとも言われています。

果たして錦の御旗はどのように作られたのか、そこにはある女性の協力があったとか。

彼女の名前は杉浦勇(すぎうら ゆう)。人々から「おゆう」とも呼ばれた彼女がどんな生涯をたどったのか、紹介したいと思います。

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「帯」として発注された錦の御旗

完成した錦旗。赤地大和錦御旗二旒其一(画像:Wikipedia)

杉浦勇は京都祇園でお茶屋「一力(いちりき)」を営む杉浦為充(ためみつ。治郎右衛門)の娘として誕生しました。

成長して芸妓になったとも言われ、ほどなく大久保利通の愛妾となります。

京都御所の東に仮住まい(上京区石薬師通寺町)を与えられ、利通や志士たちを受け入れました。

彼らの世話や謀議の場を提供するなど、倒幕運動に重要な役割を果たしたと言えるでしょう。

そんな暮らしが慶応2年(1866年)から慶応4年(1868年。明治元年)まで続き、いよいよ徳川幕府を滅ぼす挙兵が間近に迫りました。

「我らこそ官軍なりと内外に示すための印が欲しい」

「ここは一つ、錦旗を掲げようではないか」

「しかしあまりにみすぼらしくては困る。どこかへ発注しようにも、錦旗偽造の秘策が漏洩しては元も子もない……」

「そうだ、女物の帯として発注してはどうだろうか?」

女物の帯であれば、人に知られても秘策が発覚する可能性は低いでしょう。

そこで大久保は、勇に自分の帯として西陣に錦旗を注文させました。

かくして偽造がバレることなく、出来上がった錦旗は倒幕戦争(戊辰戦争)の陣頭に燦然と輝きます。

新政府軍の士気は大いに高まり、みごと旧幕府軍を撃破したのでした。

勇もまた、明治維新において大きく貢献した一人と言えるでしょう。

明治維新後の杉浦勇

戊辰戦争の陣頭にひるめく錦旗(画像:Wikipedia)

明治の世に移り変わると、勇は大久保利通を追って東京へ移住します。大久保との間には四人の男子を授かりました。

【大久保と勇の子供たち】
四男・大久保利夫(としお)
六男・大久保駿熊(はやくま)
七男・大久保七熊(しちくま)
八男・大久保利賢(としかた)

やがて大久保とその正室である大久保満寿子(ますこ)が世を去ると、自分の子供たちだけでなく正室の子たちも引き取って育てたと言います。

その後いつまで生きたのか記録は残っていませんが、大久保の長男・大久保利和(としかず)は継母の勇に感謝の言葉を語り伝えたのでした。

終わりに

維新三傑の一人として活躍した大久保。その陰には、おゆう達の働きがあった(イメージ)

今回は大久保利通の愛妾・杉浦勇の生涯をたどってきました。

とは言っても大久保利通との接点を除くとあまり知られていない点が多いようです。

今後の究明がまたれますね。他にもたくさんの女性たちが、明治維新を支えたことでしょう。

※参考文献:

  • 岩尾光代ら 『続 維新の女』 毎日新聞社、1993年7月
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