戊辰戦争、なんで敗れたか意味不明…旧幕府軍の軍備は当時の最新鋭だった!?

戊辰戦争、なんで敗れたか意味不明…旧幕府軍の軍備は当時の最新鋭だった!?

2021/11/13

「江戸/明治」=「中世/近代」ではない

歴史について調べていると、学校で習った定説が今は全然違っていて驚くことがありますね。あまり驚いてばかりいて、しまいには頭の中の知識の古さゆえに年齢がばれてしまうこともある程です。

特に、時代区分に関する新説にはびっくりさせられます。鎌倉幕府は1192年に開かれたんじゃないとか、縄文時代にも米は作られていたとか……。しかし考えてみれば時代区分というのは便宜的、恣意的なものです。変わってもおかしくありません。

問題は、誰がどういう基準・意図でそういう時代区分を設けたのか、という点にあるのでしょう。

大きな転機、大政奉還

これは日本の近代史についても言えることで、江戸時代と明治時代はなんとなく「古臭い中世」と「新しい近代」というイメージで区分されがちですが、実はそうでもないのです。

今回は、私たちが考える「江戸/明治」=「中世/近代」という図式が案外あてにならないという話です。

戊辰戦争、なんで敗れたか意味不明…旧幕府軍の軍備は当時の最新鋭だった!?

戊辰戦争時、旧幕府軍の軍備は最新鋭だった

皆さんはもちろん戊辰戦争はご存じですね。1868年に、旧幕府軍が新政府軍と京都で衝突した日本史上最大の内戦です。鳥羽・伏見を皮切りに日本各地へと飛び火し、両者が戦いを繰り広げました。

月岡芳年「城洲伏見下鳥羽合戦之図」

戊辰戦争では、最終的に旧幕府軍が敗れています。これは、新政府軍がいち早く近代的な軍備を整えたからで、古臭い幕府軍は勝てなかったのだ、と一般的には捉えられています。

ところが、当時の幕府軍の軍備は、私たちが想像する以上に新しかったのです。1862年に行われた「文久の改革」では軍制改革が実施され、幕府は「幕府陸軍」を設置したり、西洋式兵制を導入したり44隻の艦船を外国から購入したりしていました。

さらに、フランスの軍事顧問団を招いてフランス式の伝習を行ったり、当時最新鋭のボルトアクション式であるシャスポー銃一万挺丁などを輸入しています。

また、有名な長州の奇兵隊は近代的な歩兵部隊のはしりのようによく言われますが、幕府の伝習隊の方が時期的に先ですし、奇兵隊よりも大規模でした。外国勢力の中には、戊辰戦争で薩長軍は敗けると考えていた国もあったのです。

絵師不詳「太功記大山崎之図」

旧幕府軍の総大将である徳川慶喜が敵前逃亡したから敗けたのだ、という俗説もありますが、どうやらこれも戦況が劣勢だったがゆえの逃亡だったようで、因果関係が俗説とは逆のようです。

ではなんで幕府軍は敗けたのか、ということになるとはっきりは分かりません。幕府伝習隊の兵士は諸藩の藩兵や無頼の徒の寄せ集めだったそうなので、せっかくの伝習隊も活躍の場がなかったという考え方もあるようです。

もしも旧幕府軍が実力を発揮していれば、鳥羽・伏見の戦いの結果ももう少し違っていたかも知れません。

「日本の近代」は江戸期に既に始まっていた

月岡芳年『慶応四年戊辰正月三日城洲於伏見戦争之図』

つまり、私たちが明治時代以降の産物だと思っていた「日本の近代」は、実は江戸時代末期にはすでに幕府によって始まっていたのです。それは、戊辰戦争の段階で幕府がすでに「近代的」な軍備を整えていたことからも分かります。

幕府側も西欧文明を取り入れて、新しい時代に向けていろいろと準備をしていたのでしょう。

つまり明治新政府は、江戸幕府がお膳立てしてくれたシステムをうまく乗っ取ることで、いわば「日本の近代」の後継者となったのです。

このように、歴史上のシーン一つひとつをつぶさに見ていくと、「江戸/明治」=「中世/近代」という図式にも実は綻びがあることが分かります。ここでは軍事的な事柄に限って考察しましたが、おそらく同様に「日本の近代は江戸時代から既に始まっていた」という例は他にもたくさんあるでしょう。

政治、文化、経済、学問、技術、医療……。人間の活動や学問にはさまざまなジャンルがあり、それぞれに歴史があります。これを完全な時代区分で分けるのはもともと無理があるのでしょう。

参考資料
原田伊織『消された「徳川近代」明治日本の欺瞞』2019年、小学館

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