「百姓は生かさず殺さず」江戸時代の農業政策を表すこの言葉の本当の意味とは?

「百姓は生かさず殺さず」江戸時代の農業政策を表すこの言葉の本当の意味とは?

2022/02/02

みなさんは、「百姓は生かさず殺さず」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

江戸時代の農業政策を表す言葉、として知られているかもしれませんが、実は少し誤解があったり、もっと深い意味があったりするのです。

そこで、今回の記事では、そんな「百姓は生かさず殺さず」というインパクト大の言葉について、その真意を探っていきたいと思います。

そもそも、「百姓は生かさず殺さず」は誰の言葉?

江戸時代の農業政策を表す言葉「百姓は生かさず殺さず」というものですが、これは徳川家康が言ったという説と、家康の謀臣(ぼうしん:計略に優れた家臣・家来のことを指します)であった本多佐渡守正信(ほんださどのかみまさのぶ)が言ったという説があります。

徳川家康が言ったという説の根拠となるのは『落穂集』という資料。これは北条氏の重臣である大道寺政繁のひ孫に当たる大道寺友山が享保12年(1727年)ごろに書いたもので、家康の関東入府のころからの事績が記されています。

しかし、書かれた時期を見てもわかる通り、これはあくまでも“伝聞”としてのもの。あまり定かとは言えないと主張する人もいます。

一方で家康の謀臣・本多佐渡守正信の言葉とする説の根拠となるのは、『江戸雑録』という資料。これは江戸学の祖といわれる三田村鳶魚(えんぎょ)が記したものです。

「百姓は生かさず殺さず」江戸時代の農業政策を表すこの言葉の本当の意味とは?

実際の意味は?

「百姓は生かさず殺さず」と聞くと、「農民は死ぬ一歩手前まで年貢を搾り取られていたんだ」「貧窮状態だったんだ」「江戸時代は、武士が農民を搾り取る暗黒時代だったんだ」などとイメージしてしまいますが、実際はそうではないようです。

上記の本多佐渡守正信の言葉は、本来「毎日の生活に困らない程度の財は残せるような政策に務めることが、百姓を治めるには最も良い方法である」という意味だったとか。

ですから、「ぎりぎりまで搾り取る!」のではなく、「ほどほどに」というものなのですね。

“ほどほど”は農民以外にも

今回の言葉は、江戸幕府が質素倹約をすすめる政策だったとも言えるようです。そして、この幕府の考えは農民だけではなく、むしろ武士階級においても重要視されました。

富や力がだれか一人、どこか一か所に集中するのを避け、全体としてバランスをとる、“中庸”の考え方があったと言えるかもしれません。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

として、「百姓は、天下の根本なり。是を治める法あり。(中略)百姓は、財の余らぬように、不足なきように治むる事、道なり」というものがあり、それが「生きぬように死なぬように」「百姓は生かさず殺さず」という言葉に置き換えられていったと言われています。

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