ただ好きなように描けばいい―自分を解放してくれた「桜島」をモチーフに半世紀。82歳の画家は今日も、母なる山と向き合う

2022/02/06 21:12

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「桜島現想(山霊Ⅰ)」(1992年、パネル和紙、アクリルジェッソ、油彩、72.6センチ×72.6センチ)

 桜島を約半世紀にわたって描き続ける鹿児島市桜島横山町の画家、野添宗男さん(82)の回顧展が1月、鹿児島市立美術館で開かれた。画壇に不自由さを感じていた自身を受け入れ、ただ好きなように描けばいいと解き放ってくれた桜島は「母のよう」と思慕する存在だ。「溶岩や土石流の跡など一つ一つが魅力的。飽きることはない」と生涯をかけて向き合う。
 (野添さんの「添」は、さんずいがにんべんです)
 展示のメインは最大で約2メートル、幅約5メートルと畳の大きさを超えた大作が並ぶ「桜島現想」シリーズ。毎日のスケッチを基にイメージした桜島に、牛のモチーフを組み合わせる。対岸から眺める山の全体像と違い、ゴツゴツしていたりなだらかだったりと、拡大されて描かれた山肌は、島内で間近に見た桜島ならではの迫力を感じさせる。
 展覧会に論考を寄せた火山学者の福島大輔さん(48)=NPO法人桜島ミュージアム理事長=は地形や地質、角のように見える尾根、山腹からの噴火を繰り返したことを示す溶岩ドームなど、リアルな桜島を描く観察眼の緻密さに驚く。「デフォルメされているのに確かに桜島。本物を見た感動がそのまま表現されている」と指摘する。野添さん自身も、作品の写実性を否定しつつ「桜島をよく知る地元の人から『先生の描く桜島が一番桜島だ』と言ってもらえる」とほほえむ。
 東京で活動していた野添さんが桜島を初めて訪れたのは1976年。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大)時代に自由美術展で入選、個展も開いたが「先輩後輩や派閥に縛られる画壇は、肌に合わなかった」。アルタミラ洞窟の原始的な壁画に触発された作品を発表するも、理解を得られず自分の絵を見失う。その頃、たまたまテレビ画面に映った桜島に「これだ」と確信した。
 91年には「桜島に抱かれたい」と移住。麓から仰ぎ見る場所にアトリエを構え、島内のあらゆる場所から写生に明け暮れた。可能な範囲で山の中腹に上り、工事関係者から現場に入らせてもらうこともあった。そうして描いたスケッチは数万点に及ぶ。イラストレーターの大寺聡さん(55)は「桜島に少しでも近づきたい、触れたいという変わらない好奇心はまるで少年のよう」と語る。
 「好きなように描けばいい」と自身を解放してくれ、生涯の居場所となった桜島を、野添さんは「女性的」と捉え「おふくろさん」と呼ぶこともある。幼い頃、絵を純粋に褒めてくれた母への思いにも重なる。
 母なる桜島を描き続けることで再び個展を開くことになり、絵を買ってくれる支援者ができた。「桜島に住む人は、ここには何もないと言うけれど、私には人生の全てが桜島にあった」。武蔵野美大の校友会に関わるようになるなど、周囲とのつながりが新たに生まれた。今回の回顧展も、大学の後輩らが実行委員会を組織して開催した。
 現在は車いす生活を送る。3年前、歩行が困難になる進行性の病気だと分かり、毎日続けてきたスケッチもままならない。それでもアトリエには、まだ描きかけの絵が壁にかけてある。「この展覧会で何かヒントをつかみたい」。再びキャンバスに向かう日を目指し、リハビリに励んでいる。

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