岐阜、鹿児島が姉妹県50周年 薩摩義士が結んだ縁

高木文子2022年4月26日 10時00分

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鹿児島県の塩田康一知事(左)と岐阜県の古田肇知事が懇談した=2022年4月24日、岐阜県関ケ原町、高木文子撮影

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木曽三川の「宝暦治水」の縁で始まった岐阜、鹿児島両県の姉妹県盟約が50周年を迎え、記念式典が24日、岐阜県関ケ原町で開かれた。両県知事は今後、両県民に限定した観光割引などを実施して交流を深める方針を確認した。

 盟約が結ばれたのは1971年。記念式典はコロナ禍で1年遅れで催された。

鹿児島県の塩田康一知事と岐阜県の古田肇知事は今後、両県民に限定した観光割引キャンペーンを実施する方針で合意。岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(岐阜県各務原市)と種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)が連携して子ども向けのプログラムを実施し、岐阜関ケ原古戦場記念館(関ケ原町)では島津家ゆかりの企画展などを開く方針だ。

 記者会見で、塩田知事は「薩摩の先人の苦労をしのび、岐阜県民が長く語り継いでいることに感謝している」、古田知事も「宝暦治水の薩摩義士やそのご縁を守り続けた先人に感謝し、未来志向で関係を発展させていく」と話した。

 記念式典には関係者約230人が参加。宝暦治水の地元・海津市立大江小学校の5、6年生が「子ども狂言」を熱演した。鹿児島では、鶴丸城跡の御楼(ごろう)門(鹿児島市)の復元時に岐阜から贈られたケヤキを使い、薩摩琵琶も二つ作成。その一つを記念式典で塩田知事が古田知事に手渡し、友好を深めた。

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 宝暦治水ゆかりの交流は、約700キロ離れた岐阜と鹿児島をつないできた。

 岐阜県海津市の揖斐川長良川を分ける堤防は、宝暦治水で最大の難工事とされた。薩摩義士は故郷から取り寄せた松を堤防に植えたという。現在は国の史跡「油島千本松締切堤(しめきりづつみ)」(千本松原)となり、近くに薩摩義士をまつる治水神社もある。松枯れが深刻だった2000年代、千本松原には鹿児島から害虫に強い松の苗木が贈られた。

 NPO法人「木曽三川千本松原を愛する会」は、松原で夏場の草刈りに励み、これまでに育てた苗木約60本を鹿児島へ贈ってきた。松田良弘理事長(75)は「姉妹県の交流が100年、200年と続くように、象徴の一つとして千本松原を残したい」と話す。

木曽川と長良川に面した岐阜県羽島市にも薩摩義士や工事に携わった幕臣の墓がある。市内の竹鼻別院では7年前、有志が樹齢300年以上とされるフジの古木の苗木を鹿児島市などへ贈った。現地で昨年、本格的に咲き始めたといい、「竹鼻別院の藤を守る会」の後藤博美会長(72)は「花が取り持つ縁が続いていけば」と願う。

 両県の青少年ふれあい事業では、若者が隔年で互いの県を訪れて交流。1972年から半世紀の歴史があり、計3362人が参加した。教員の相互派遣も72年に始まり、小中高校で計305人の教員が赴任した。

 遠く離れていて同時に被災するリスクが低いとして、2011年に両県は災害時の相互応援協定も締結。鹿児島・桜島防災訓練には岐阜の職員も加わり、火山防災の知識を深めている。(高木文子)

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 〈宝暦治水〉 江戸中期に木曽三川で実施された治水工事。幕府が1753年に薩摩藩に命じ、家老の平田靱負(ゆきえ)ら約950人が派遣された。工事は難航し、病気や自害で80人以上が犠牲になったと伝わる。

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