鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府…で、「幕府」って何?驚くほど曖昧なその定義と用法

2022/03/15

「幕府を作った」人は誰もいない!?

鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府……。私たちは日本史について語る際に「幕府」という言葉を何気なく使っています。

しかし、それでは「幕府」とは「何」なのか? と聞かれて答えられる人はほとんどいません。

ここでは、そんな「幕府」という言葉の意味と、その使われ方の歴史を探っていきます。

江戸城桔梗濠と巽櫓

まず、そもそもの話なのですが、源頼朝も、足利尊氏も、徳川家康も「私は幕府を作りました」とは一言も言っていません。

その理由は簡単です。彼らが武家政権の最高権力者の地位にのし上がった時、「幕府」という言葉は存在していなかったのです。

このように、私たちが当たり前のように使っているにも関わらず、当時は存在しなかった歴史用語は意外といろいろあるようです。「藩」「鎖国」などがそうですね。

「幕府」という用語は、江戸時代後期になって藤田幽谷(1774~1826年)とその息子の東湖(1806~1855年)など水戸学の人たちが使い始めたと言われています。

その使い方も独特でした。水戸学においては、一番偉いのは「朝廷」です。そして朝廷が征夷大将軍の地位を与えて、それに基づいて武家政権は成り立っていると考えます。それで、朝廷に対立する概念として「幕府」という概念が生みだされたのです。

藤田東湖(Wikipediaより)

幕末になると、この思想が「尊王攘夷」へと結びつき、倒幕運動へと発展していきました。

さて、言葉の上では「幕府」は存在していなかったものの、しかし現に武家政権というものはあったわけです。では、その政権の権力を根拠づけていたものは何だったのでしょう。それこそが「幕府」の根拠だったのでしょうか。

「幕府=征夷大将軍」でもない

ここで思いつくのが、水戸学でも取り上げていた「征夷大将軍」です。日本史の教科書でもよく、「朝廷から征夷大将軍の地位を与えられたから幕府を開いた」という、分かったような分からないような説明がなされてきました。

つまり「幕府=征夷大将軍を中心とした武家政権による権力機構」ということです。

しかし、そうとも言い切れないのです。ここで問題になるのは、「室町幕府が滅んだのはいつなのか」ということです。

確かに教科書的には、源頼朝、足利尊氏、徳川家康と、どれも征夷大将軍の地位を朝廷から得て幕府を開いたという説明がなされます。

一方、室町幕府が滅亡したのは1573年で、最後の将軍である足利義昭が織田信長から追放されたのが滅亡の理由だとされています。しかし、義昭はこの時、征夷大将軍の官位を返上してはいません

それどころか、各地を転々としながらも、一定の権威は保ち続けていました。

足利義昭(Wikipediaより)

室町幕府は滅亡したものの、最期の将軍はいつまでも征夷大将軍のままだったのです。彼が官位を返上したのは、豊臣秀吉が天下を取った1588年のことでした。

「そんなの、義昭が勝手に名乗っていただけじゃないか」と言われそうですが、そうでもありません。秀吉は信長の死後、天下統一のための外交や九州平定の際に、義昭の地位を利用しているからです。

室町幕府は滅んでも、みんなが彼のことを権威ある征夷大将軍だと認識していたのです。

つまり、征夷大将軍はまだ存在していたにも関わらず、1573年に室町幕府は滅んだということです。

では、「幕府」は、いわゆる征夷大将軍がいてもいなくても関係ない、それ自体が権力や支配力を持った統治機構、政治体制のことを指すのでしょうか。

そこまで考えたところで、次に問題になるのが「じゃあ鎌倉幕府の成立はいつなのか」です。

現実に「幕府」とは呼ばれていない武家政権もある

これについては、かつて少し上の年代の日本人は「1192年」として教えられたものですが、今は「1185年」というのが主流です。なぜなら源頼朝が征夷大将軍になったのは確かに1192年なのですが、彼が各地に守護・地頭を設置して、事実上の支配権を手にしたのが1185年だからです。

源頼朝(Wikipediaより)

このことからも、今は「征夷大将軍の地位は支配力とイコールではない」という考え方が主流であることが分かりますね。

ただ、それでは統治機構や政治システムが完成すれば「幕府」が成立したことになるのでしょうか。ところが、それも一概には言えません。なぜなら平清盛織田信長豊臣秀吉も武家政権を確立させていますが、彼らは「幕府」を開いたとは言われないからです。

もしも秀吉が幕府を開いたということになれば、彼の居城は伏見城だったので「伏見幕府」とか、時代の名前を取って「桃山幕府」とか言われることになるでしょう。

豊臣秀吉(Wikipediaより)

こうなってくると、日本史上のそれぞれの時代の武家政権を「幕府」と呼んだり呼ばなかったりする、その根拠自体が曖昧だということになってきますね。

現在は、「幕府」という言葉ももう使わない方がいいのではないか、という意見もあるようです。歴史の研究がさらに進めば、こうした用語の扱いも変わるかも知れません。

参考資料

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