鹿児島に藍染の文化を拓きたい

南さつま市に住む神園一俊さん(前編)

投稿日:2021年3月25日 更新日:2021年5月13日

プロローグ

明治時代、来日した英国人に「ジャパン・ブルー」と称された日本の藍色。そこには昔ながらの技法でしか表現できない美しさがあると言います。そんな“藍”の文化を継承し広げていくため、藍染師の神園一俊さんが呼ばれるように辿り着いた場所は、豊かな自然のなかに人々の暮らしが静かに息づく南さつま市金峰町(きんぽうちょう)でした。

インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日:2021年3月

南薩の霊峰・金峰山を望む山あいの集落。宮崎県都城市出身の神園一俊さんは、昨年2月にここ南さつま市金峰町で、藍染の工房とギャラリーのある「藍染屋」をオープンさせた。神園さんは、日本では数少なくなってしまった天然灰汁発酵建(てんねんあくはっこうだて)という伝統技法を継承する藍染師。365日藍と向き合い、天然の材料だけで作る伝統技法ならではの藍の魅力を守り、ここから発信している。

工房から望む金峰山

工房から望む金峰山

敷地内にある藍染のギャラリー

敷地内にある藍染のギャラリー

移住のきっかけ

若い頃は福岡で国鉄に勤務し、新幹線の車両検査や修理などの仕事をしていた。28歳の頃、母親が体調を崩して介護が必要となり都城へ帰郷。郷里で新たな職を探すこととなり、ものづくりに関わる仕事ができればと地元の織物会社に入社した。そこでは糸から布を作る織の仕事を経験する。洋服が好きで、当時自分で洋服を作ってみたいと考えていた神園さん。生地の染色にも興味が湧き、2年ほど経つと今度は宮崎県綾町の染織工房に転職した。
そこでは草木染や貝から紫の色素を取り出し染める貝紫の還元建染めなど様々な染色技術を経験。そのなかの一つが天然灰汁発酵建の藍染だった。

天然灰汁発酵建の藍染

天然灰汁発酵建の藍染

一方で、介護をしていた母親が8年前に他界。宮崎には身内が一人もいない状態となった。そこで親族が暮らしていた鹿児島への移住を決意。鹿児島には天然灰汁発酵建の伝統的な藍の文化がなかったことから、ここに藍の文化を拓きたいという想いも沸いた。当時54歳。

「歳をとって、(挑戦するなら)最後のチャンスだと思い、鹿児島に藍染の文化を拓きたいと移住を決めました」

藍染に最適な環境を求めて

鹿児島市内に移住した神園さん。藍染の文化をここに拓きたいという想いはあったが、工房を構える場所をまずは探さねばならなかった。
藍染をする環境として大事なのは、第一に天然水があること。神園さんがこだわる天然灰汁発酵建は江戸時代中期以前に確立した、化学薬品を一切使わない染色技術。カルキが入っている水では作ることができないため、天然水が近くにあることは必須条件だった。
また、鹿児島で藍をするにあたって後押しとなったのが、鹿児島の「灰汁」の文化。

「天然灰汁発酵建は『灰汁』という字が付くんですが、それはカシやツバキなどの堅木を燃やしてできる灰をお湯に入れて作る灰汁。鹿児島で言う『あく巻き』(もち米を灰汁に浸し竹の皮に包んで煮る郷土料理)を作るときの灰汁が必要なんですが、鹿児島県は枕崎に鰹節工場があって、鰹をいぶすときに出る堅木の灰が容易に手に入る。そういった文化があることも鹿児島で藍をやると決めた理由でした」

南さつま市に住む神園一俊さん(前編)

藍染に適した環境を求め、鹿児島市の郊外や、お茶づくりが盛んな霧島市の溝辺、南九州市の知覧など県内各地を訪ね歩いた。その間の収入は建設業の派遣。藍染の工房を開くことが目標としてあったため、場所選びや準備のために時間を確保しやすい就業形態を選んだ。また、工房を構えるとき建設業の経験が役に立つだろうという考えもあった。

呼ばれるようにたどり着いた

「ここには道に迷ってたどり着きました」

いまこの藍染屋がある場所は偶然見つけたという。そのいきさつは、県内各地を探し回って4年ほど経ったころ、現在の藍染屋がある近所に空き家があり、最初に紹介されたのはその空き家だったそうだ。神園さんは気に入ったが、家主が年に一度そこに親戚で集まりみそづくりをするため、借りることが難しいことが分かった。その後別な場所を紹介され足を運んでみるも件の空き家が忘れられず、再びこの場所に来たところ道に迷ってしまった。

「あの家はどうなっているだろう、また見てみようと思ってきたが道に迷った。山の上から降りてきたらここの石蔵が見えて、奥の方を見たら家があった。周りの環境も見たら『ここしかない』と思いましたね。呼ばれたような気がします」

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神園さんを惹きつけた石蔵。現在は「Studio No.4」という看板を掲げ、藍染作品を展示販売している

※鹿児島に移住して4年目に、ようやく天然灰汁発酵建をするにふさわしい環境を見つけた神園さん。後編では地域の人たちとの関係構築や染色技術のこと、またこの先の展望についてお話を伺います。

南さつま市金峰町大坂(だいざか)。静かな山あいの集落に、神園さんの『藍染屋』はある。敷地の入り口から工房の奥まで長く続く石積みは段々畑の跡だといい、豊かな自然とともに暮らしてきた先人たちの営みが息づく場所だ。

インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日:2021年3月

敷地内にある湧水場。祠が建ててある

敷地内にある湧水場。祠が建ててある

地域の理解と応援を得て

道に迷いこの場所を見つけたという神園さん。山手から下ってきたとき、モミジの巨木やスギの木立ちの中にひっそりとたたずむ石蔵が目に入ったという。奥を覗いてみると馬小屋のような建物もあった。

「小屋の方はもう朽ちていたと言ってもおかしくない状態でした。瓦は落ち、シロアリに食われ、家は傾いている、雨漏りはするという状態だったんですが、建築の経験があったので、プロの手も借りながら自分で解体したり板を張ったりしました。何よりいちばん惹かれたのはこの環境。小屋は朽ちていても何とかなるんじゃないかという想いがありました」

この場所に惚れ込み工房を構えることを決意して、まずは公民館長をはじめ地域の人たちにここで染色をやりたいということを伝えた。しかし

「まず周りの人が思うのは、赤とか黄色とか化学薬品の染料。それが土壌に流れ出すんじゃないかということ。ここら辺の土地はお米がすごくおいしいんです。山から湧き出る天然水で作る米なので。だからそんな染色をされては困るということで(反対を受けたので)皆さんに集まってもらって」

神園さんは自らが手掛ける藍染への誤解を解くため、地域の人々を集め丁寧に説明した。
化学薬品を一切使わない天然の染色であること、排水を流しても水中の生物が死ぬことはないこと、環境に優しく、染色の役目を果たすと畑に撒く肥料になること…。

当時の想いを尋ねると
「もうやるしかなかった。もう進んでいるから。やっぱり覚悟が必要。その(目標を実現する)ためにはどんな壁があってもクリアしていくという想いがあるから、だめだと言われたら何回も話をしに行く、そんな想いでしたね」

説明の甲斐あって誤解は解け、励ましとともに受け入れてもらえたという。

「『それならがんばりなさい』と受け入れてもらえた。『地域の活性化のためならお貸しします』と喜んで頂いて。そういった人たちに巡り会えてようやく叶った。本当に感謝しかないですし、恩返ししたいという想いもあります」

藍に寄り添い伝統を守る

南さつま市に住む神園一俊さん(前編)

朽ちかけていた小屋は工房に、石蔵は藍染作品の展示販売を行うギャラリーに生まれ変わり、昨年(2020年)2月、ようやく藍染屋オープンに至った。工房の床には6つの大きな甕壺が埋め込まれていて、それぞれに時期を違えて藍が仕込んである。微生物の力を借りて発酵する藍は発酵の具合が違うと染まり方も違う。繊細な藍の状態を、神園さんは見た目や匂い、櫂で撹拌したときのひっかかり具合、時には舌でも確かめる。

藍を仕込んだ甕壺に櫂を入れ撹拌させる神園さん

藍を仕込んだ甕壺に櫂を入れ撹拌させる神園さん

「仕込んだ時がいちばんパワーがあって、1回布をくぐらせただけでも染まりがいい。今ここに仕込んでいる藍は、人間の年齢で言えば20代、40代、80代。80代は元気がないけれど、ちゃんとした管理をすると若い藍では決して出せないきれいな薄い色を出してくれます」

藍に元気がないときは、焼酎や生絞りの日本酒を“飲ませて”あげるのだそうだ。そうやって日々藍に寄り添い健康状態を管理する。

そんな天然灰汁発酵建の藍の魅力について尋ねると

「それはもちろん色。インド藍だとかジーパンを染める合成インディゴといった藍もあるが、それは石油などを原料とした藍。ここで作っているのは、日本で採れる天然のものを原料にして染めたものなので全くの別物」

と自負する。天然灰汁発酵建の藍は生き物であり、それを活かす人の技術があって生まれる色。深淵な中にも光をまとったような奥深い味わいが生まれる。染める回数を重ねると色が強くなるだけでなく、生地も強くなるそうだ。
また、服飾や染色の世界も今は持続可能なものづくりが求められているという。

「昔はこの伝統的な染色技術も、日本の開国後入ってきたインド藍や合成インディゴといったものに押されて忘れ去られたような時代があったけれど、今は持続可能ということが重視されて、こういった自然のもの、環境に優しいものが求められる流れがある。そういう意味では逆に最先端の染色技術だと思います」

南さつま市に住む神園一俊さん(前編)

天然灰汁発酵建の藍

天然灰汁発酵建の藍

藍染の文化で地域も元気に

これからの目標は、藍染の文化を鹿児島に拓いていくこと。そして技術の伝承だという。

「せっかく自分が持った技術を、次の世代にバトンタッチしないといけない。南さつまで拓いた藍染の文化をバトンタッチした人たちが、その先海外で展開したり勝負してほしいなという想いはあります」

そのためには、まず藍染を知ってもらうこと。藍染屋では、藍の管理と作品の展示販売、そして藍染体験もしている。神園さんも惚れ込んだ自然豊かなこの場所での藍染体験は好評で、藍染をしたあとお弁当を食べたり昼寝をしたりと、長時間のんびり過ごして帰る人も少なくないそうだ。

「ここら辺は宝物といった感じがする。自然豊かだし、鳥のさえずりはするし、夜は星がきれい、近くに海はある、川では蛍が見られる、お米も野菜も何もかもおいしい。本当にジブリみたいな世界」

と神園さん。金峰町の自然、そして何より理解を示してくれた地域の人たちに感謝する。そしてそんな地域への恩返しとして、また藍を広く知ってもらうため、藍染屋を交流の場にしていくことも目論む。

「まずここに来てもらうこと。人が来だしたら周り(地域)の人も巻き込んで、煮しめとかおにぎりとか作ってもらって来訪者をもてなしたい。もてなすことで、地元の人にとってはお孫さんにお小遣いをあげられる程度の収入が得られればいいし、来てくれた人たちには喜んでもらえたらいい。ステージもあるので、小さな音楽会だったり、たいまつを焚いたり、そんなイベントも開いて人が集まる場所になったらいいなと思います。」

神園さんのかごしま暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

8年

Iターンした年齢は?

54歳

Iターンの決め手は?

鹿児島に親族がいたこと。鹿児島が藍染に適した環境だったこと。鹿児島に藍の文化を拓きたいと思った。

南さつま市の好きなところ

藍染屋のあるこの集落。自然が豊かでお米も野菜もおいしい。理解ある地域の人たちも、何もかもが宝物のような場所。

かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!

鹿児島は自然と人が魅力。行政自体が移住を応援していて、自分の場合は移住にあたって公民館長さんがすごく相談に乗ってくれました。おそらく鹿児島はどこに行ってもそういう方がいて、相談しやすい環境なのではないかと思います。

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