昭和天皇が2度滞在した名旅館 「朝の散歩…ひそかに撮った」貴重な写真収蔵 「岩崎谷荘」94歳・元女将が回想

回顧録を手にする永井麗子さん=鹿児島市城山1丁目

 回顧録を手にする永井麗子さん=鹿児島市城山1丁目

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 〈関連〉旅館の庭を眺める昭和天皇(「あゝ天翔けし わが人生」より)

富加見絹子さん

 富加見絹子さん

 昭和天皇をはじめ皇族や芸術家が宿泊した昭和の名旅館「岩崎谷荘」(鹿児島市城山町)の女将だった永井麗子さん(94)の回顧録「あゝ天(あま)翔けし わが人生」(青雲社・1540円)が刊行された。孫で翻訳家の富加見絹子さん(44)=ギリシャ在住=が執筆。時代にほんろうされながらも、戦前戦後をしなやかに生き抜いてきた来し方を、秘蔵写真を交えて描いている。
 永井さんは1929年大阪市生まれ。戦前に室戸台風で家を失い、母の郷里・内之浦に移り住んですぐに父と死別。その後、母の再婚先の鹿児島市で新しい家族と暮らした。戦時中は家族で市外に疎開したが、学校の帰宅命令を受けて、自宅に一人で帰った日の夜、鹿児島大空襲に遭い、九死に一生を得た。
 戦後、靴の卸業を営む夫と結婚。子育ての傍ら、夫の伯母が興した旅館「岩崎谷荘」を引き継ぎ、90年に城山トンネル建設に伴い閉館するまで33年間、女将(おかみ)を務めた。
 岩崎谷荘には、昭和天皇が2回宿泊。女将も近寄ることはできなかったが、朝、庭を散歩しているところを偶然見かけ、ひそかに撮ったという貴重な写真を掲載している。
 皇太子時代の上皇ご夫妻も滞在され、その際に交わした会話などエピソードも紹介している。
 永井さんは「語り尽くせないほどの経験の一部。わが家の記録と思って話したが、家族に読ませたいという知人もいて反響が大きい」と喜ぶ。
 富加見さんは6年前、永井さんの戦争体験を小冊子にまとめた。冊子を読んだ周囲の声を受けて、さらに今回の執筆を決意。今夏鹿児島に帰省して永井さんから集中的に聞き取り、9月の永井さんの誕生日に合わせて刊行した。
 「祖母の半生をつづりながら、戦中戦後を生き抜いた人たちへの感謝の思いがあふれた」と富加見さん。「物語が誰かの心に届き、命を継いでいくことの大切さを感じてもらえたら」と願っている。

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