そうめん流しの“聖地”唐船峡60年の歩み かつての「通り過ぎるまち」が人気観光地に

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鹿児島名物の回転式の「そうめん流し」。その“発祥の地”として知られ、毎年多くの人が訪れる人気観光スポット指宿市開聞の唐船峡が、今月で60年を迎えました。その道のりは、そうめんの流れとは違い、長く、複雑なものでした。
ぐるぐると回る水の中を麺が流れるそうめん流し。見た目も涼し気なだけでなく、みんなで囲んで楽むことができます。
今月1日、その“発祥の地”である指宿市営唐船峡そうめん流しが60周年を迎え、生憎の雨にも関わらず多くの人で賑わいました。
(大学生グループ)
「たまたま予定があって、雨だし、ちょうどいいなとなって唐船峡に来た」
「久しぶりに集まったし、いいもの食べようということで」
「(Q.また唐船峡来たいですか?)はい、来たいです」
誕生のきっかけは、高度経済成長を背景に1960年代に起こった新婚旅行ブームでした。温泉などがある指宿は観光地として盛り上がりましたが、合併前の当時の開聞町は観光の目玉がなく、「通り過ぎるまち」とも言われる状況に。
そこで何とかしようと、後に開聞町長も務めた井上廣則さんら当時の役場職員が動きだしました。
着目したのは、水温が年間を通じて13度に保たれ、水量も豊富な地元の京田湧水です。住民がゆでたそうめんを湧水にひたして食べているのを見て活用を思いつき、60年前の昭和37年=1962年6月1日に、竹を半分に割った竹樋を使ったそうめんを流しを始めたのです。
しかし、開始後に課題も浮上しました。
(係長 原村誠さん)「カビが生えたりとか、いろんな問題があり、何とかできないかと」
そこで、そうめん流し器の開発に着手し、中華料理店で使われる回転テーブルや、たらいで洗濯をする様子をヒントに、昭和42年(1967年)に回転式のそうめん流し器の開発に成功したのです。
大勢で囲んでゆっくりと楽しむことができる回転式のそうめん流しは人気を集め、唐船峡は鹿児島を代表する観光スポットになりました。来場者はピークの1992年には34万人に達し、その後も年間20万人ほどが訪れるようになりました。しかし…。
(係長 原村誠さん)「賑わっていたゴールデンウィークとか夏休み期間がですね、もうお客様がいないような状況でございましたので、やはり寂しい気持ちがございました」
おととしからは新型コロナの影響で修学旅行などの団体利用が減り、おととしの年間来場者はおよそ8万人と、統計を取り始めた1989年以降で最少となりました。そこで、コロナ前は冬場限定だったマスを使ったメニューなどでテイクアウトを始めるなどして、苦しい時期を乗り越えてきました。
最近は、ようやく客足がコロナ前の7割まで戻ってきたものの、まだ影響が続く中で迎えた60周年。なんとか盛り上げたいとこんなものも登場しました。
(係長 原村誠さん)「こちらが光るそうめん流し機になります」
LEDで様々な色に光るそうめん流し機は、1台限定の60周年記念モデルです。
(記者)「冷水できゅっとしまったそうめんが、鹿児島特有の甘いつゆとよく絡んでとてもおいしいです。このカラフルに輝くそうめん流し機で食べると、お腹だけでなく心も満たされそうです」
(子ども)「虹色。きれいだね。(Q.このキラキラしているそうめん流し機で食べるそうめん、どう?)おいしい!」
60年の節目のこの日、親子3代でそうめん流しを楽しむ姿が見られました。
(家族連れ)
「5月で60歳だったので、その還暦祝いを子どもたちが企画してくれて、こちらに寄らせていただきました」
(6月で60周年だったんです)
「え~!!」
(60歳のお誕生日を迎えられて食べるそうめんいかがですか?)
「特に今日は一段とおいしいです」
逆境で生まれ、知恵と工夫で様々な課題を乗り越えてきた唐船峡のそうめん流し。61年目の新たな歴史を刻むべく、きょうも回り続けています。

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