ふるさと馬毛島で自衛隊基地着工 首都圏から憂う要塞化 「本当に日本のためになるのか」

鹿児島県西之表市の馬毛島=2016年

鹿児島県西之表市の馬毛島=2016年

 自衛隊基地の工事が先月始まった馬毛島(鹿児島県西之表市)。現在はほぼ無人島だが、かつては豊かな海の恵みをもたらし、多くの人が暮らす島だった。防衛省の計画が進めば、島全体が要塞ようさいのように開発され、米軍機の訓練や騒音が現実になる。往時を知る人たちは、「ふるさと」の変貌に何を思うのか。(西田直晃、中山岳)

◆トビウオ、マゲシカ…鮮明な記憶

 「今も近くにいたなら、基地整備は絶対に反対と言い続けたでしょうね」

トビウオ漁などの資料を示し、馬毛島の思い出を振り返る上園さん=さいたま市南区で

トビウオ漁などの資料を示し、馬毛島の思い出を振り返る上園さん=さいたま市南区で

 馬毛島から東に12キロの種子島。北西部の西之表港周辺で幼少期を過ごした上園かみぞの与三郎さん(90)=さいたま市=はいら立つ。11歳のころに父が病死して大阪から母の実家の種子島に移り、高校卒業後に上京するまで暮らした。

 晴れていれば、海岸に近い自宅の前から馬毛島全体がはっきり見えた。親戚には漁師が多かった。地元で「トッビー」と呼ばれるトビウオは「島を象徴する魚」。5〜7月の産卵期、海の男たちに「船に乗せてやろうか」と誘われた。

 無人島だが、港近くに漁師が2カ月の漁期を過ごす掘っ立て小屋があり、上園さんも1泊。午前1時に出港した。大きな網の両端を2隻の船にくくり付け、数万匹のトッビーの群れを目掛けて進むと、まさに一網打尽。「戦中のころの話だし、スピードはぽんぽん船のように遅かったけど、驚くほど大量に捕れていた」

 いけすに放り込むのを手伝った。種子島に戻ると、海岸や町の至る所にむしろが敷かれ、トッビーを日干しにしていた。「刺し身のあっさりした味わいが忘れられない」と懐かしむ。

 馬毛島への入植が始まった1951年に種子島を離れたが、固有種のマゲシカが歩き回り、ソテツが群生する風景を鮮明に覚えている。工事が進めば、自宅から毎朝眺めていた小高い丘も削り取られてしまう。「昔の戦争からも明らかだが、日本の悪いところは、一度進めたら後戻りできないこと。思い出の景色が変わり果ててしまう」と嘆く。

 いとこが今も種子島にいて、基地整備が進む現状を語り合う。最後に馬毛島を見たのは、法事で帰郷した10年前。「当時はまだ、日本が戦争に加担するような動きはなかった。この10年間で一気に変わった」

 1月12日に工事が始まったが、首都圏で馬毛島のニュースは少ない。「遠く離れてしまったが、今思えば、もっと関心を持っておけばよかった」と悔やみ、こう懸念する。

 「今は全てが米国の言うがまま。本当に日本のためになるのか」

◆前のめりな国の姿勢に、漁協組合員から疑問の声

 防衛省によると、馬毛島では現在、森林伐採や土地造成工事が進んでいる。今後、滑走路や火薬庫、桟橋、係留施設などを造る計画で、工期はおおむね4年ほどを見込む。

 懸念されるのが漁業への影響。同省はこれまで種子島漁業協同組合に周辺海域の漁業権の一部を消滅させると説明し、総額22億円の漁業補償を提示した。種子島漁協は、漁業権消滅を認めるか確認する同意書を、関係組合員279人から集めており、結果は2月2日に公表される。

 前のめりな国の姿勢に、漁師の間からは疑問の声が上がる。漁協組合員のうち5人は、馬毛島周辺を主な漁場とする地区で事前協議がなかったとして、1月30日に浦添孫三郎組合長宛ての公開質問状を提出。漁業権が消滅する海域の面積、補償額の積算根拠に加え、建設工事の粉じんや騒音が漁業に影響した場合の補償の有無などを問うている。漁協は「対応は検討中」としている。

 基地に反対する長野広美・西之表市議は「昔から馬毛島周辺で漁をしている人々は基地建設に複雑な思いがある。馬毛島に行ったことのない種子島住民にも、身近に基地ができることに危機感を抱く人はいる。今後も工事を監視し、声を上げていきたい」と話す。

◆デスクメモ

 防衛力のニュースでは、兵器や戦術を解説する図がよく使われる。分かりやすいが、命や健康が失われ、家や街が破壊される戦争の実像は伝わりにくい。馬毛島問題も、国際情勢など大きな図の中でばかり論じられていないか。地元で暮らしてきた人たちの営みを忘れてはいけない。(本)

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