九州新幹線部分開業から20年 変貌遂げた陸の玄関口「鹿児島中央駅」のこれから

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鹿児島中央駅と熊本の新八代駅の間で九州新幹線が部分開業して、きょう3月13日で20年です。部分開業を機に、鹿児島の陸の玄関口へと成長した鹿児島中央駅周辺。この20年間で大きく変わりました。
鹿児島、熊本、福岡を結ぶ九州新幹線。2004年に部分開業した鹿児島中央と熊本の新八代の間は、先月までの20年間でおよそ8174万人が利用しました。
2004年3月13日、当時の「西鹿児島駅」は「鹿児島中央駅」に名前が変わり、九州新幹線が部分開業しました。博多まで、それまでより1時間半短縮され、最速2時間10分で行けるようになり、2011年の全線開業後の現在は、最短1時間16分で結びます。
今月9日、鹿児島中央と新八代の間が1日乗り放題で、ドリンク券やグッズがついた切符が販売され、多くの新幹線ファンが20周年を祝いました。
(熊本から)「開通した時にときどき使っていた。初めて乗るときにすごく速くてびっくした」
(県内から親子3世代で)「新幹線に子どもが乗るのが初めてなので、皆で一緒に乗れるのが楽しみ」
(鹿児島市から)「開業したての頃に抽選で当たって乗った。子どもが新幹線が好き」「たのしみ!」
新幹線「つばめ」の名付け親で、当時7歳だった永崎ちひろさんと、20年前の駅長・中村修さんも再会し、あの日と同じように一緒に出発の合図を出しました。
(「つばめ」名付け親・永崎ちひろさん)「20年ぶりに同じつばめを送り出せたことは感慨深い。耐えてはいたが、涙も出そうになった。20年間つばめが羽ばたいていて、私も札幌で演劇活動していて、同じく羽ばたいていけたら」
(部分開業当時の鹿児島中央駅駅長 中村修さん)「ちひろちゃんを見て20年経ったんだと感じた。当時を鮮明に思い出し感慨深いものがあった」
(庵下龍馬さん)「ここで部分開業の時は商売していた。県外の客が数か月は来たので、そこそこ店にとってはよい効果がでた」
当時を振り返るのは庵下龍馬さん(72)です。飲食店などおよそ40店が並ぶ駅前の一番街で、土産物店の2代目として商売をしていました。
新幹線の開業前、生まれ育った商店街はバブル崩壊後の不況で、シャッターを閉める店が目立っていました。
(一番街商店街振興組合 庵下龍馬さん)「商店街は疲弊していく時期だった。一番街の奥に行けば行くほどシャッター街になるのではと厳しい時期。部分開業が本当に現実化した時、空き店舗がだんだんと埋まりだした。商店街としては部分開業に期待が大きかった」
鹿児島中央駅周辺では、新幹線の部分開業から半年後に「アミュプラザ鹿児島」がオープンしたのを皮切りに、ホテルなどが入る「鹿児島中央ターミナルビル」や2021年に一番街商店街の入口の再開発ビルに「Li-Ka1920」、西口では去年、JR鹿児島中央ビルが開業し商業施設「AMUWE」がオープンするなど、この20年で続々と再開発が進みました。
今後も西口ではマンション建設が進められ、関係者によりますと、一番街商店街にある再開発ビルにはディスカウントストアの「ドン・キホーテ」の出店も計画されています。
鹿児島中央駅の乗車数の1日平均は、部分開業で2000人以上、全線開業で3000人ほど増加し、コロナ禍で一時6000人ほど落ち込んだものの、回復傾向にあります。
庵下さんは再開発だけでなく、新幹線の利用客に市内を回遊してもらえる「魅力あるまちづくり」が必要だと話します。
(一番街商店街振興組合 庵下龍馬さん)「鹿児島中央駅の強みは通過駅じゃない。終点でもあり始発でもある。必ずここで降り立って町を散策してもらえるチャンスを持った駅だと思っているので、商店街も中央駅周辺の町もまだまだ工夫すれば活気づく」
鹿児島の交通の利便性を大きく変え、新たな観光客を呼び込んだ新幹線の部分開業から20年。時代とともに変化する人の流れをこれからのまちづくりにどう生かしていくかが問われます。

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