教科書からすでに「士農工商」は削除!実は身分制度・身分序列を表す言葉ではなかった【後編】

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「士農工商」=「すべての人々」

【前編】では、士農工商という言葉が歴史的に見てもタテの「階級」を示すものではなく、単なる職業の区別を示すものだという考え方を説明しました。

教科書にないッ!日本史を学んでいるとよく登場する概念に「士農工商」があります。これについては「身分制度」あるいはインドのカースト(ヴァルナ)制度のような「身分序列」として長らく理解されてきました。…

また江戸時代の身分制度も、士農工商の分類とはほぼ無関係でした。

では、江戸時代以前は士農工商という言葉はどういう意味で使われていたのかというと、「すべての人々」という意味です。「老若男女」という言葉のニュアンスと近いかも知れません。

ただ、人々は当時の産業構造上、何らかの形で農業に従事していました。よって兵農分離が進む過程で、しだいに百姓が農民と同義になっていったのです。

「工商」は職人と商人ですが、二つの身分間に差異はありません。これらは一括りにされて「町人」と呼ばれていました。

したがって明治維新の四民平等という表現も「みんな平等」という意味でしかなく、四民平等を強調しすぎたあまり、反対に「かつては農民や職人や商人の間にも序列があった」という誤解を抱かせる結果になったのでしょう。

何より「三族」、つまり明治になって導入された華族・士族・平民という新しい身分再編と適合しないので、明治時代の政策をあらわす言葉としては相応しくないと考えられるようになりました。

これもまた、「士農工商」という言葉が教科書から消えていった理由のひとつです。

教科書からすでに「士農工商」は削除!実は身分制度・身分序列を表す言葉ではなかった【後編】

身分の違いも金次第?

ところで、農工商の人々と比べて士(武士)は明らかに上位でしたが、身分間の壁は低く、お金を払うと武士になることができました(十分の購入)。

ただ、この「身分が買えた」という表現も微妙なニュアンスで、お金があれば誰でも簡単に転職できたという意味ではありません。

渡来銭

江戸時代の身分は「個人」ではなく「家」を単位として決定されていました。長男は家を継ぐ者として身分が固定されていますが、次男以下はその家に属します。

そして、その家にいるかぎり、次男以下は妻を持つことができませんでした。 他家に養子に行くことによって、その養子先の家を継ぎ、晴れて独立生計を立てることができたのです。

で、養子に入るときには持参金を用意するのが当時の慣習で、これをもって「身分を買うことができた」ということです。

勝海舟の例

例えば、幕末の有名人である勝海舟曾祖父は、もともとは農民でした。江戸に出て高利貸しを営んで富を得て、三男に御家人・男谷家の身分を買い与えたのです。

このように、資金を用意して養子となる権利を得ることを「御家人株を買う」と言います。

この三男の孫・平蔵の三男である小吉が、さらに旗本である勝家の婿養子となり、勝小吉となります。勝海舟の父親です。

隅田公園の勝海舟像

農民から御家人へ、御家人から旗本へと身分間での移動を果たした典型例が勝海舟の実家だったのです。

したがって、正確には「身分」が買えたわけではありません。繰り返しますが身分は個人に属するものではなく、家に属するものだったので、養子となる権利を得ることで身分間移動が可能だったのです。

ということで、「士農工商」は身分制度や身分序列を示す言葉としてはふさわしくないものの、武士と農工商のあいだに身分制度が厳然と存在していたことも事実なのです。

参考資料:
浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社

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