“鉄道では行くことができない最大の街”「鹿屋」には何がある?

 東京に暮らし、どこかに出かけるときには電車を使う毎日を過ごしていると、思い違いをしてしまう。電車に乗れば、どの街にだって行けるような、そんな錯覚に陥るのだ。

 実際、ほとんどの日常生活の中での移動は電車だけで解決してしまう。東京にも駅からだいぶ離れた場所もあるが、それでもせいぜい20~30分ほど歩けばいい話だ。だから、電車はどこにでも連れて行ってくれる魔法の乗り物。勘違いもムリのない話である。

 が、さすがにもちろん、それは間違っている。日本全国を見渡せば、そもそも船でしか行けない離島があるし、山の中にはほとんど鉄道が走っていない。鉄道を持たない小さな町や村もたくさんある。鉄道で行くことのできる街は、むしろ少数派、なのかもしれない。

 では、鉄道では行くことができない(つまり鉄道が通っていない)街で、いちばん人口が多いのはどこなのだろうか。

鉄道のない「最大の街」はどこ?

 そう思って調べてみたら、案の定というべきか、沖縄であった。沖縄本島中部の沖縄市は、人口14万人を超えているのに鉄道がない。ほかにも、うるま市や浦添市といった、沖縄の都市が上位に並ぶ。

 が、それはさすがにおもしろみに欠ける。周囲には鉄道があるのになぜかその街だけ……という鉄道空白感が欲しい。

 そこで、北海道・本州・四国・九州に限って調べた。結果は……なんと鹿児島県は大隅半島。鹿屋市という人口10万人弱の街が、鉄道を持たない最も人口の多い都市なのである(ちなみに、東京にも武蔵村山市という鉄道のない市があるが、こちらの人口は約7万人)。

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“鉄道では行くことができない最大の街”「鹿屋」には何がある?

 いったい、鉄道なき10万都市・鹿屋とはどんな街なのだろうか。気になるならば、行くしかない。といっても、鉄道がないのでどうやって到達するのかが問題だ。

「鹿屋」にはどう行けばいい?

 改めて地図を確認すると、鹿屋は大隅半島のおおよそ真ん中あたりにある。鹿児島県のにょきっと南に突き出すふたつの半島のうち、右側が大隅半島、左側が薩摩半島で、県都・鹿児島市があるのは薩摩半島。鹿屋は、大隅半島の中心的な都市というわけだ。

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今回の路線図。「鹿屋」は鉄道をもたない日本最大規模の都市だ

 薩摩半島ならば、九州新幹線が通っているので訪れるのはたやすい。が、反対に大隅半島はというと、これがまた鉄道がほとんどない。鉄道がない街に行こうとしているのだから当たり前といえば当たり前だが、鹿屋にたどり着くためには、どこかの駅からバスに乗り継ぐしかないのである。

 実際には、鹿児島中央駅から2時間ほどのバスや、鹿児島空港から1時間ほどのバスもある。超のつくローカル線だが日南線という日向灘沿いをゆく路線の終着駅・志布志から1時間ちょっとバスに乗る手もある。

 が、今回は宮崎駅前に前泊し、都城駅からバスに乗ることにした。所要時間は1時間40分。だいぶ厳しい旅である。都城経由を選んだ理由は、とくにない。

宮崎から4時間…バス停にたどり着いたら「あれ、この人は…」

 そうしたわけで、宮崎から実に4時間ほどかけて、ようやく鹿屋にやってきた。降りたバス停は、そのままのお名前の「鹿屋」という。何やら立派な大通りが交わる交差点に位置していて、バス停の脇には「リナシティかのや」という大きな施設が建っている。商業施設のようでいてそうでもなく、あれこれはいっている市民交流施設のようだ。

 リナシティの壁面には、なんだかどこぞのコンサルタントかインフルエンサーか、かっこつけたポーズのお兄さんのポスターがずらり。「KANOYeah!CITY」などとキャッチコピーが大書され、お兄さんのお名前は池崎慧……。あれ、いつもテレビで見ているイメージとはまったく違うけど、サンシャイン池崎さんじゃないですか。どうやら鹿屋出身で、鹿屋のPRポスターに出演している、ということなのであろう。

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 サンシャインさんはさておき、鹿屋バス停とリナシティかのやがある交差点は、国道269号と国道504号が交わる交通の要衝だ。

 東西南北で現すならば、交差点の北東側にリナシティ、南西側にはハローワーク。リナシティの向かいには駐車場があって、西側には小さな商店街がある。九州に来たことを実感させてくれるファミレス、ジョイフルの看板も見える。

 人通りが多いというわけではないが、まったくいないわけでもない。国道の交わる交差点だからクルマ通りは文句なし。きっと、このあたりは鹿屋の中心市街地の一角ということで問題ないのであろう。

鉄道がない街の人々の暮らしを支えるもの

「北田町」と名付けられたこの交差点から東側を見る。リナシティのすぐ東には肝属川が流れ、その先には国道沿いにいくらか規模の大きそうな商店街が見える。肝属川というそれほど大きくはない川の周囲に、鹿屋の市街地は広がっているのだろうか。

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 川を渡ってすぐのところに鹿児島銀行鹿屋支店。地場の地銀の支店がある場所は、地域でいちばんの一等地というのが相場だから、間違ってはいないはずだ。

 そうして国道269号を歩き、商店街の中をゆく。人口10万都市の中心市街地の商店街だから、さぞや賑やか……なわけはなかった。

 国道沿いの商店はほとんどが店を閉じていて、半ば廃墟のようになっている一角もあった。中には営業している店もあるが、満足するほどお客が来ているような様子はない。

 しばらく国道沿いを歩いてゆくと、遠矢百貨店という比較的大きなビルが見えてきた。いまも営業しているが、一般的な“百貨店”のイメージとはやや違う、何でも売っている雑居ビルのようなものだ。

 いくら鹿屋が大隅半島の中核を担う10万都市といっても、鉄道がない。鉄道がない街では、街の人々は日々の暮らしの足をどうするか。もちろん答えはひとつ、マイカーである。

マイカーが変えた人の動き…中心市街地に何があったのか

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 ひとり1台のクルマ社会になった地方都市では、おしなべて中心市街地が空洞化。クルマでのアクセスに便利なロードサイド店舗や郊外の大型商業施設が栄えることになる。鹿屋の場合も、例に漏れずというわけだ(といっても、大隅半島最大の売り場面積を誇ったプラッセだいわ鹿屋店は昨年秋に閉店してしまった)。

 中心市街地の空洞化という現象は、鹿屋の街歩きのスタート地点になった北田町交差点でも起きていた。というのも、かつて北田町交差点の角には桜デパートという百貨店があったのだ。

 桜デパートは大隅半島で唯一の百貨店で、リナシティの真向かいにあった本店店舗は地上7階建て、デパ地下まで設えた立派なものだったという。1945年に創業し、1960年に鹿屋本店がオープン。以来、鹿屋の人々は何かがあれば桜デパートに、と買物に来たという。

 が、マイカー利用に便利なロードサイド店舗が増えてゆくにつれ、中心市街地の古いデパートはいささか時代にそぐわなくなっていく。

 これまた全国の地方都市と同じ運命、経営難に苦しんだ末に1994年に店を閉じ、2005年に取り壊されて駐車場に生まれ変わった。桜デパートの取り壊しは、中心市街地活性化のための再開発に基づくものだった。

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 いずれにしても、国道沿いの商店街も北田町交差点も、中心市街地が賑わっていた時代の面影をわずかに残しつつ、正直にいえば寂れた雰囲気が濃厚に漂う。鉄道がない街とは、こういうことなのか……。

路地裏に入るとちょっとすごすぎる数のスナックが!

 そう思いつつ、国道沿いの商店街から一本路地に入って裏道に出る。すると、そこにはおびただしいほどのスナックが建ち並んでいた。

 1軒や2軒ではなく、10軒20軒どころではなく、もっともっとたくさんのスナックが細い道筋にギッシリと。スナック長屋のようになっているところもあれば、雑居ビルまるごとスナックになっているところもある。

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 さらに一本裏に入って川沿いに出ても、こちらもスナックばかりの歓楽街。南九州は、酒を飲むといったら居酒屋ではなく1軒目からスナックという文化が定着しているという。それに鹿屋は観光都市という面はあまりないから、地元の名物を食わせる観光客向けの居酒屋も必要ない。

 だからなのか、鹿屋の中心市街地の商店街の裏は、とてつもないスナック街になっているのだ。訪れたのは昼下がりだから営業している店はほとんどない。これが夜になれば、ネオンが煌めく街になるのだろうか。

 鹿屋は、いわずとしれた基地の町だ。1936年に帝国海軍鹿屋航空隊が設置され、戦争末期には特攻の基地にもなった。鹿屋の飛行場から南方へ、若者たちが死を覚悟して飛び立っていったのだ。

 その基地は海上自衛隊鹿屋基地となっていまに続く。置かれている第一航空隊は海自で最初の航空部隊で、南西諸島哨戒の任務に当たる。また、離島の緊急患者輸送なども、鹿屋基地の大事なお仕事のひとつになっている。

 さらに、鹿屋には、規模こそ小さいものの、唯一の国立体育大として知られる鹿屋体育大学もある。自衛隊や大学の存在が、10万都市という規模の背景になっているのだ。

かつては「鹿屋」にも鉄道があった

 そして、いまは鉄道のない街だが、沖縄本島や淡路島でもそうであったように、最初から鉄道がなかったわけではない。かつては、国鉄大隅線というローカル線が通り、街の中心近くに鹿屋駅というターミナルを持っていた。

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 国鉄大隅線は、日豊本線の国分駅から分かれて大隅半島の鹿児島湾沿いを走り、垂水などを経て大隅高須駅から内陸へ入って半島を横断。その途中に鹿屋駅があり、最後は日南線の志布志駅で終わる路線だった。

 最初は南隅軽便鉄道(のち大隅鉄道に改称)が1915~1923年にかけて古江~鹿屋~串良間を開業させ、国有化されて1936年に志布志まで延伸。戦後の1972年に国分~古江間が開業して、全線が完成している。

 大隅線は鹿屋を中心とした大隅半島の発展に大いに貢献した路線であった。中心市街地形成にも影響を及ぼしたのだろう。スナック街は、その頃からあったのかもしれない。

かつての鹿屋駅跡地には何がある?

 結局大隅線はクルマ社会にはあらがえず、お客があまりに少ないという理由で1987年に廃止されている。商店街やスナック街のある国道沿いの中心市街地から肝属川を渡った西側をしばらくまっすぐ南に歩いてゆくと鹿屋市役所が見えてきて、それがかつての鹿屋駅の跡地だ。

 つまり市役所の前はかつての“鹿屋駅前”。その面影はほとんど残っていない。近くにかのやグランドホテルという立派なホテルがあるが、それは古の駅前旅館に発するものなのだろうか。

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 そんな旧鹿屋駅、鹿屋市役所の脇には、鹿屋市鉄道記念館が建っている。かつて、鹿屋に鉄道があった時代の面影を偲べる、数少ない施設だ。

 ただ、いかんせん中心市街地と鹿屋駅、遠いのだ。歩けなくもないが、20分から30分。最初はもっと中心市街地に近い場所に駅があったようで、市街地もそれにくっついて発展したのだろう。

 が、駅が移転していまの市役所の場所に移ってからは、“市街地から遠い駅”になってしまった。それもまた、鹿屋が鉄道を失う遠因になったのかもしれない。

 中心市街地は寂れつつ、その中にもスナック街という南九州らしい雰囲気を残し、鉄道の駅(跡)はちょっと外れた場所にひっそり……。

 これって、別に鹿屋に限ったことではない。鉄道があろうとなかろうと、地方都市のありさまはどこもたいして変わらない。さみしいけれど、現代日本の地方都市のゆく道に、鉄道はあまり関係ないのかもしれない。

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