鹿児島でも増える「墓じまい」納骨堂増設の寺院も

春のお彼岸の時期には鹿児島県内の墓地でも墓石を洗い、花を供え、墓前で手を合わせるという光景がみられた。そんな中、耳にするのが「墓じまい」という言葉。
墓じまいとは、お墓から遺骨を取り出して墓石を撤去し更地にする、文字通り墓をしまうこと。この墓じまいが鹿児島でも増えてきている。
理由は「自分のあと、お墓の面倒を見る人がいない」「お墓が遠くてなかなかお参りにいけない」「墓参りが体力的にきつくなってきた」など、少子高齢化の影響を感じさせるものが多い。
遺骨は、管理がしやすい納骨堂や、墓石の代わりに樹木を植えて弔う樹木葬、複数の遺骨が祭られる合祀墓などに移す。これが「改葬」。

桜島を臨む高台の斜面にいくつものお墓が並ぶ鹿児島市の唐湊墓地。お彼岸で墓参りに訪れていた人たちに「墓じまい」について聞いてみた。
「個人的に考えています。子どもがいないので親戚に任すわけにもいかない。考えますよね。両親の墓が遠くて、子ども、孫の墓参りも大変だろうと思って」
墓参りに訪れた人の中には「墓じまい」を考えている人もいた。
実際に唐湊墓地では、墓石がなくなり更地になっている場所がいくつも確認された。そして取材中、墓石がトラックの荷台に積まれている場面に遭遇した。墓じまいの作業が終わったばかりの現場だ。
石材業者によって解体された墓石は、その場で砕かれ、あとは産廃処分場に運ばれる。墓石があった場所はきれいにならされていた。

鹿児島市でお墓を移した「改葬」の件数は、記録を取り始めた1997年度は600件あまりで、その後も500件前後で推移していたが2010年代以降は1000件を超えた。墓じまいには改葬が伴うため、改葬件数の増加は墓じまいの増加といえる。
墓じまいからの改葬先のひとつでもある納骨堂を取材した。鹿児島市にある妙円寺唐湊霊廟。開設してから約10年。500基の納骨壇が並んでいて、現在空きはほとんどない。
家にある仏壇とよく似た形状だが、下にお骨を入れるスペースがある点が決定的な違い。伊藤憲一住職は「上が仏壇で、下が収骨場所。これが納骨堂の特徴」と話す。
一方で、家の仏壇と同じように様々なものをお供えすることができる。伊藤住職は「腐らない物は本質的にOK。例えばビールとかお正月は餅。外の墓だと供えられない。『おめでとうございます』と餅を供える、見た目がすごくいい」と語る。

住職が納骨堂を初めて開設したのは約30年前、鹿児島県日置市伊集院に造った。
きっかけは先代である父のひとこと。
妙円寺・伊藤憲一住職:
「今から納骨堂の時代だ」とよく言っていました。まだ何もない頃でした。(初めて造ったとき)檀家さんに反対されて。「みんないい墓持っているのにこんなの造って何すんや」と言われた。5年、10年したらすごく売れ出した

2023年、お墓からこの納骨堂にお骨を移した吉永さんご夫婦。ご主人の両親や先祖が眠っている。墓じまいの理由について妻・徳子さん(76)は「足腰が弱くなって(お墓に)行くのも大変だった。夏は暑いし冬は寒いしお花は持たないし」と話してくれた。夫の勝洋さん(79)「納骨堂でないとえらい難儀します」と話す。先祖を思う気持ちは納骨堂でも変わらないという。
需要の高まりを受けこの納骨堂では現在、増築工事を行っていて新たに200基の納骨壇が設置される予定だ。
さらに妙円寺では約10年前からカード式の納骨堂も始めた。納骨堂には仏壇が設置されている。仏壇の後ろには400基のお骨が入ったケースが収納されていて「参拝カード」を読み取り機にかざすと、それぞれの家のお骨が呼び出される。

増加の一途をたどる墓じまいで、墓石を作る石材店にも影響が。
1913(大正2)年創業の飯田石材店。長年にわたりお墓を設置してきたがここ10年ほど、解体作業の件数が設置を上回っている。飯田雄介社長は「解体はもったいないという気持ちはある。昔の墓で立派だったりすることもあるので」と話す。その上で「継ぐ人がいなければそのままにしておけないので、しょうがないという感じ」と複雑な心境を語った。
「お墓に関する悩みは人それぞれ。建てたい人もいれば移設したい人もいる。より良い提案ができたら」飯田社長は今後のあり方を模索する。
いち早く納骨堂を展開した妙円寺・伊藤憲一住職も「ご先祖あっての我々ですから、ご恩感謝の気持ちを込めて手を合わせて焼香する。お墓参りは形でなく、気持ちの問題」と語った。
当たり前のように墓前で手を合わせていたお墓参りの形は、時代が進む中で多様化している。墓じまいが増える中、それでも大切にしなければならないのは変わらぬこの気持ちだ。

コメント