あの千代の富士が業を煮やした突っ張り 寺尾、「そっぷ型」の意地

1989年大相撲九州場所5日目、千代の富士(右)につり落としで敗れた寺尾=福岡国際センターで1989年11月16日

1989年大相撲九州場所5日目、千代の富士(右)につり落としで敗れた寺尾=福岡国際センターで1989年11月16日

 日本相撲協会は18日、大相撲の元関脇・寺尾の錣山親方が17日夜にうっ血性心不全のため東京都内の病院で死去したと発表した。60歳だった。

 土俵生活23年。幕内連続出場1063と通算出場1795はともに史上4位、通算勝ち星は10位の860と多くの記録を持ち、しかもきっぷのいい土俵姿の力士だった。

 最も重い時でも110キロ台。角界では「そっぷ型」といわれる細身の体からの上突っ張りを武器にして横綱・千代の富士に立ち向かい、つり落としで土俵にたたきつけられたのは1989年九州場所。寺尾の突っ張りをこらえた横綱が後ろに回って、それこそ目よりも高く持ち上げてからのつり落としという荒技に桟敷は沸いたが、横綱が業を煮やした寺尾の突っ張りの面目躍如だった。

1991年大相撲春場所11日目、激しい突っ張りあいの末、押し倒しで貴花田(右)に敗れた寺尾=大阪府立体育会館で1991年3月20日

1991年大相撲春場所11日目、激しい突っ張りあいの末、押し倒しで貴花田(右)に敗れた寺尾=大阪府立体育会館で1991年3月20日

 小結だった91年春場所、9歳下で18歳の貴花田(後の横綱・貴乃花)と初顔合わせで押し倒された時は、さがりをたたきつけて悔しがった。同じ2世力士という意地もあったが、「高3(の年齢)に負けられないよ」と話している。

 新十両場所の84年名古屋場所で井筒部屋に伝わるしこ名「源氏山」を襲名した。井筒部屋の横綱、3代目西ノ海が横綱になる前のしこ名でもあり、出世名だが、1場所で返上し、高校生の時に亡くなった母節子さんの旧姓で入門時に名乗った「寺尾」に戻している。後年親方になってからその話を聞くと「あのしこ名(源氏山)は恥ずかしかったですよ」と語っていた。

 2002年に引退し2年後、錣山部屋を創設した。「鉄人」と呼ばれた力士時代と違って土俵を離れると穏やかだったが、長く持病の不整脈に悩まされてきた。

師匠の錣山親方への思いを語る阿炎=東京都江東区の錣山部屋で2023年12月18日午後0時14分、村社拓信撮影

師匠の錣山親方への思いを語る阿炎=東京都江東区の錣山部屋で2023年12月18日午後0時14分、村社拓信撮影

 子供のころ部屋に稽古(けいこ)見学に来ていた外国人に「ア・ベイビー(a baby)」と呼ばれ可愛がられたことから愛称が「アビ」だった。それをしこ名にした弟子の阿炎が幕内優勝した昨年九州場所も東京の病院で入院中だった。最近は入退院を繰り返していたという。

 父の元井筒親方はもろ差し名人といわれた元関脇・鶴ケ嶺(06年没)、長兄は元十両・鶴嶺山(20年没)、次兄は元関脇・逆鉾(19年没)。母節子さんは元横綱の2代目西ノ海の孫という相撲一家だった。(東京相撲記者倶楽部会友・武藤久)

コメント