なぜ中国のスター「鑑真」はわざわざ日本にやって来たのか? 唐招提寺で謎の老婆が教えてくれた「驚愕の回答」

謎は深まるばかり

初夏の新緑漂う唐招提寺を訪れた。奈良は人も疎らで、とりわけ郊外の唐招提寺は静謐だった。

日本人が歴史教科書で習うように、唐の高僧・鑑真(688〜763年)は、聖武天皇の求めに応じて渡日を決意。5度にわたる苦難の渡航に失敗し、失明してしまう。だが6度目は密航でようやく日本に辿り着き、唐招提寺を建立した。日本の仏教界最大の「恩師」だ。

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鑑真の渡日は、美談として語られるが、実は不可解である。なぜなら、現在に喩えると、まるで最盛期のアルゼンチン主将のメッシ選手がJリーグに移籍を希望するようなものだからだ。

そこで数年前、鑑真の故郷・揚州の大明寺を訪れた。だが現地でその偉大な足跡を調べるほど、謎は深まるばかりだった。

ありかも、鑑真!

人気のない唐招提寺の境内を、金堂、講堂、鼓楼……と巡る。東手で小さな「国宝展」が開かれていて、入り口で中国人の老婆が揉めていた。現金200円しか受けつけず、スマホ決済不可というので、払ってあげた。

すると彼女は展示場で、鑑真に同行した唐工たちが拵えた国宝の数々を、一点ずつ解説してくれた。この老婆、ただ者でない。

そこで私の疑問をぶつけると、呵々大笑した。

「彼は蓬莱(伝説の東方の国)にあるとされた不老長寿の薬を求めたんだと思うわ。当代随一の薬草博士でもあったから」

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はっ? でもBYDのCMではないが、納得した。そんな説も、

「ありかも、鑑真!」

「週刊現代」2024年6月29日・7月6日号より

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