特攻隊員の機内食「海軍タルト」はどんな味? 「戦争の歴史伝えたい」 小学生が毎月お小遣いで買って配る

交流を深める宮園廉士朗君(左)と北村馨さん=鹿屋市本町の富久屋

 交流を深める宮園廉士朗君(左)と北村馨さん=鹿屋市本町の富久屋

「富久屋」が再現した「海軍タルト」

 「富久屋」が再現した「海軍タルト」

完成した古今タルトと、千玄室さんから贈られた色紙=21日、鹿屋市本町の「富久屋」

 完成した古今タルトと、千玄室さんから贈られた色紙=21日、鹿屋市本町の「富久屋」

 旧海軍鹿屋航空基地から飛び立った特攻隊員たちが機内で食べたといわれる菓子を再現した「海軍タルト」。鹿児島県鹿屋市の老舗和菓子店「富久屋」が6年前に作った思い出の味を、同市の大姶良小学校4年、宮園廉士朗君(9)がお小遣いで定期的に買い、周囲に配っている。「タルトを通して戦争の歴史を伝えたい」と話す。
 海軍タルトはスポンジ生地であんを挟んだ細長い菓子。太平洋戦争時、海軍御用達として基地に納めていたと伝わる。元従業員や家族から聞いた話を元に、6代目店主北村祐一さん(56)や、店を切り盛りする母の馨さん(83)を中心に再現した。
 廉士朗君は幼稚園時代から、鹿児島市内で暮らしていた曽祖父で2年前に96歳で亡くなった靜男さんに戦争の話をよく聞いた。靜男さんは1945(昭和20)年に英駆逐艦の攻撃で沈没した重巡洋艦「羽黒」乗組員の生存者だった。
 当初は軍用機の格好良さに夢中になったが、小学校に入ったころから歴史の悲惨さを少しずつ考えるようになったという。「船が沈没する寸前まで、機関銃を握りしめて亡くなった仲間もいたと聞いた。数多くの昔話がすごく心に残る」と振り返る。
 昨年、富久屋の前にあった「海軍タルト」の看板に気づいた。興味が湧いて入店し、タルトにまつわる歴史を知った。それ以来、お小遣いをためて月1、2回、600~1000円のセットを購入し、親戚など周囲に手渡すようになった。
 廉士朗君は今月、同市小塚公園であった特攻隊員の追悼式にも参列し、手を合わせた。「戦争の話は人ごとではないと同級生にも伝えたい」。今後も富久屋ののれんをくぐり、鹿屋の戦争史に耳を傾けるつもりだ。
■月末からは「海軍」改め「古今」に
 鹿屋市の老舗和菓子店「富久屋」は特攻隊ゆかりの「海軍タルト」の名前を4月末から「古今タルト」に変える。命名したのは、自身も特攻隊の一員で、同市の特攻隊員の追悼式に参列したこともある茶道裏千家前家元の千玄室さん(100)だ。
 タルトの収益は、特攻隊員を慰霊する毎年春の灯籠流しの開催資金に充てられる。しかし、「海軍」という名前が戦争を連想させる負のイメージがあるとして百貨店に置いてもらえず、伸び悩んでいた。
 現状を打開しようと2021年、タルトを献茶会で使ってもらうなど親交のあった千さんに、手紙で名前の考案を打診した。快く受けてもらい、同年末に「古今タルト」と書かれた色紙が送られてきた。今年3月にパッケージが完成。「海軍タルト」の名前は残し、別のお菓子を包む予定。
 灯籠流しを企画する同店の北村馨さん(83)は「響きの良い名前を頂いた。千さんの特攻隊員に対する特別な思いが詰まっている。今後も二つの菓子の名前を大事にしたい」と話した。

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