約3億円のギャラで出演! 丹波哲郎の豪快エピソードから見る『007は二度死ぬ』裏話

『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画に主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた、大俳優・丹波哲郎。
そんな丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。
数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか――『丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。

タイガー・タナカ

『007』での丹波のギャラは20万ドルで、1ドル360円の時代だから、7200万円にのぼる。いまなら約3億円に相当しよう。『第七の暁』の1300万円の5倍以上である。デビュー作の『殺人容疑者』は、2万円にすぎなかった。

『007は二度死ぬ』ポスター

ギルバート監督と同じく、アソシエイト・プロデューサーのウィリアム・カートリッジも、丹波に信頼を寄せていた。

「タンバは、日本人俳優とイギリス制作陣との仲介役をしてくれた。彼が英語を話せて助かったよ。日本の映画界には“階級”があるんだ。タンバは大物俳優で、日本の映画業界では一目置かれていたし、信用されてもいたからね」(『007は二度死ぬ』ブルーレイ版収録のインタビュー、筆者訳)

丹波は、ショーン・コネリーとも奇妙な形で面識があった。

仕事でロサンゼルスのホテルに宿泊していた深夜、シャワーを浴びているさなかに、部屋のドアが何度もノックされた。急いで腰にタオルを巻いてドアを開けると、30代ぐらいの大柄な白人男性が神妙な面持ちで立っている。

「すみませんが、電話を貸してください」

丹波の部屋の向かいに自分の友人が泊まっているのだが、いくらノックをしても応答がないので心配になったという。

部屋に招き入れると、大男はさっそく電話をかけていた。「コネリー」という名前が聞こえたが、丹波はまだ『007』を観ていない。コネリーの第一印象は、「愛想のいい男」だった。

9ヵ月後、ロンドンの映画会社で再会したおり、丹波がロサンゼルスでの一件を持ち出すと、「ああ、覚えてます、覚えてます!」とコネリーは全身で驚きを表現した。

丹波は、8歳年下のコネリーともたちまち打ち解けた。お得意の剣道や空手の手ほどきをし、コネリーが神社でおみくじを引くと、ご託宣の意味を英語に訳して伝えた。

真夏の漁村でのロケの合間、コネリーはカツラを取って海に飛び込み、クロールですいすい泳いでいる。撮影中やマスコミの前ではつねにカツラをつけていたが、ふだんは隠し立てしなかった。

日本語でよく、「キニシナーイ!」と言って日本人を笑わせていた。右の前腕には、「MAM AND DAD FOREVER SCOTLAND」という青っぽいタトゥーが入っていた。

丹波とコネリーには映画を離れても交流があった。『007』のギャラで新築中の丹波邸に“お忍び”でやって来たコネリーと、出入り業者の淺沼好三が出くわしている。丹波とコネリーは、庭に植えられた立派な松の木の下で、しばらく談笑していた。

ふたりの交遊を、のちにテレビドラマ『バーディー大作戦』で丹波の部下役になる松岡きっこも間近で見た。丹波は、「オレは英語、完璧だ」と胸を張っていたが、よくよく聞けば、さほど完璧ではない英語をゆっくりとしゃべっている。自信満々でコネリーにしょっちゅう話しかけるのだが、通じていない場合もあるらしく、コネリーはときおり困惑した表情を浮かべる。丹波はおかまいなしに、コネリーの肩や背中をばんばん叩き、「ワッハッハ!」と高笑いした。

「これじゃあ、どっちが主役かわかんないわ」

松岡は、吹き出しそうになった。

「なんなんだろう、この態度のデカさは……」

丹波はコネリーを、「すごくいいヤツ」だが、ホールデンより一段も二段も劣る俳優とみなしていた。『007』を退いたコネリーが、『アンタッチャブル』でアカデミー賞助演男優賞をとり、スティーブン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』でハリソン・フォードの父親役を茶目っ気たっぷりに演じているのを観て、「あいつがこんなにいい役者になるとは思わなかったよ」と見直した。

『007は二度死ぬ』での丹波哲郎 Photo by GettyImages

ふたりに接した日本人俳優が、もうひとりいる。丹波とフランス映画談義をかわした岡本富士太である。

大学受験に失敗して浪人中の岡本は、知人の勧めで行ったアルバイト先が、たまたま『007』の撮影現場だった。クルマ好きの岡本は運転手の仕事も任され、ある朝、定刻になっても撮影現場に現れない丹波を呼びにやらされる。

宿泊先の東京・四谷のホテルニューオータニに着くと、コネリーらイギリス側の一行と鉢合わせになった。丹波に何度電話をかけても出ないので、直接、部屋を訪ねるところだった。コネリーは、興味津々でスタッフたちについてきたらしい。

一緒に上の階へ行き、部屋のチャイムを鳴らすと、白いガウン姿の丹波が出てきた。どんな言い訳をするかと思えば、「おお、ご苦労! ご苦労!」と満面に笑みを浮かべて、殿様が家臣をねぎらうようなことを言う。コネリーたちにも、「オーッ! グッド・モーニング!」と、まるで悪びれた様子がない。グループの中に顔なじみの日本人女性スタッフを見つけると、両手を広げてハグをした。

岡本は毒気を抜かれてしまった。

「なんなんだろう、この態度のデカさは……」

同時に感動もしていた。これほど押し出しのよい日本人を見たことがなかった。

続く丹波の行動にも、呆気にとられた。わざわざ自分を起こしに来てくれた日英スタッフの前で、悠然と歯を磨きはじめたのである。それがあまりにも堂に入っていて、ごく当たり前に見えてしまう。岡本が、「あれはいくらなんでも変だろう」と我に返るのは、歯磨きを終えた丹波が撮影現場に連れていかれたあとだった。

こうした空気は、『007は二度死ぬ』のシーンにも引き継がれたように見える。

コネリー演ずるジェームズ・ボンドは、東京の地下道で落とし穴に転落し、秘密めいた部屋にまで一気にすべり落ちてくる。狐につままれたような顔のボンドに、待ち受けていたダーク・スーツ姿の丹波が、笑顔で話しかける。

「ようこそ、フフフフッ、ハッハッハッハッハッハッ! ようこそ日本へ、ミスター・ボンド。ようやく君に会えてうれしいよ。フフフフフッ、いままでのところ、わが国をお気に召してくれたかな?」(筆者訳、以下同じ)

タナカは、シナリオに「堂々たる風格、頑健で危険きわまりない人相」と書かれている。

「君はジェームズ・ボンドだろう? お会いできて非常に光栄だ、ボンド・サン。本当に光栄なんだ。さて、自己紹介をさせていただこうかな。私の名前は『タナカ』だ。『タイガー』と呼んでくれ」

松竹の元・助監督で江戸川乱歩賞を受賞した作家の小林久三は、「丹波哲郎はなかなかの貫禄、ショーン君みたいな大男と相対してビクともしないフテブテしさがあって大いにこれもよろし」(『スクリーン』1967年9月号)と好意的に論評している。

続きは<「国辱映画」と罵られて…『007は二度死ぬ』エピソードに見る日本とイギリスの温度差>で公開中です。

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