駅伝の「怪物」 浜田安則さん死去(77歳) 鹿児島県下一周駅伝で35の区間賞、アジア大会1万メートル王者

浜田安則さん

 浜田安則さん

第26回県下一周駅伝最終日の通称「浜田コース」(加治木-竜ケ水区間)で新記録樹立の力走を見せる浜田安則さん=1979年2月

 第26回県下一周駅伝最終日の通称「浜田コース」(加治木-竜ケ水区間)で新記録樹立の力走を見せる浜田安則さん=1979年2月

 アジア競技大会陸上男子1万メートルで優勝し、鹿児島県下一周市郡対抗駅伝で35回の区間賞を獲得した元陸上選手の浜田安則(はまだ・やすのり)さんが7月2日、鹿児島市内の病院で死去した。胆のうがんの治療で入院していた。77歳。出水市(旧高尾野町)出身。葬儀は近親者で行った。
 1946年生まれ。高尾野中学校、出水高校を経て、鹿児島大学教育学部を卒業。鹿児島中央高校などで教壇に立ちながら競技を続けた。71年の日本選手権1万メートル、74年の5000メートルを制して国内トップ選手に成長。74年9月にアジア大会1万メートルを30分50秒0で制した。別府大分毎日マラソンは74、77年に優勝した。72年に鹿児島県で開かれた太陽国体では35キロレースで頂点に立ち、国体2連覇を果たした。
 圧倒的なスピードから「怪物」と呼ばれ、県下一周駅伝では65年の第12回大会に初出場して初日5区で区間新記録をマーク。第33回大会で退くまで44区間を走って35の区間賞を取り、今年更新されるまで最多記録だった。
 最後の出場となった86年にも初日1区で区間賞を獲得し、最後まで強さを見せた。数多くの区間新記録も達成。特に最終日の加治木-竜ケ水区間は「浜田コース」と通称され、79年に樹立した43分41秒は36年間破られないまま、2016年に新コースとなった。
 1982年に京セラ陸上競技部の初代監督に就任。引退後の86年には都道府県対抗女子駅伝で優勝した鹿児島チームをコーチとして支えた。91年、日本陸連に強化本部委員として出向し、94年から強化副委員長を務めた。
 多くのマラソンランナーを育て上げ、ソウル五輪代表の荒木久美さんやバルセロナ五輪代表の山下佐知子さんを見いだした。東京ランナーズ倶楽部を主宰してシドニー五輪代表の市橋有里、市川良子を指導した。

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