300年残る極彩色の「龍柱」、幾度も火難に遭った国宝守る…鹿児島・霧島神宮

 霧島連山の麓に鎮座する霧島神宮(鹿児島県霧島市)。拝殿と本殿の間にある幣殿に立つと、龍の彫刻を施した2本の「 龍柱りゅうばしら 」(高さ約3・6メートル)が目前に迫る。向かって右側が口を開いた 阿あ 形、左側が口を結んだ 吽うん 形。たなびく雲の中、極彩色の2体が柱に巻き付きながら昇っているように見える。

本殿を守るように立つ2本の龍柱。極彩色は300年余り過ぎた今も色あせない(霧島市の霧島神宮で)=木佐貫冬星撮影本殿を守るように立つ2本の龍柱。極彩色は300年余り過ぎた今も色あせない(霧島市の霧島神宮で)=木佐貫冬星撮影

 現在の社殿は1715年(正徳5年)、薩摩藩主・島津吉貴の寄進で再建された。その際に彫られた龍柱には、幾度も火難に遭った社殿を、水をつかさどる龍によって守る意味が込められているとみられる。うろこや雲に重ねられた濃い青や緑、火炎の朱色は、魔よけとして中国で重宝された色という。

 龍柱は東アジア圏に分布しており、国内の本土では新田神社(薩摩川内市)、鹿児島神宮(霧島市)など鹿児島県内に多い。これには鹿児島の地形と歴史が深く関係している。

 南に開かれた地形の鹿児島は、交易の拠点として、近世以前から東アジアの文物がもたらされた。江戸時代の鎖国下でも、中国に朝貢していた琉球王国を通して間接的につながっていた。

慶光院けいこういん利致よしかず 宮司(76)は「龍は『上昇』を象徴する力強さがある。停滞した時代を打ち破り、すばらしい年になるよう、皆さんとお祈りしたい」と話す。

 普段は非公開。国宝の指定を受け、春と秋に特別拝観を始めた。

掃除は筆で慎重に

 龍柱の極彩色は約300年前に塗られた状態のまま残されている。明治や昭和期には、保存のために 剥落はくらく 止めを塗っていたが、文化庁の指摘を踏まえて落とした。

霧島神宮の上妻敏基・管財部長
霧島神宮の上妻敏基・管財部長

 掃除は年に1、2度。傷つけないよう、表面を筆で慎重に払う。管理する 禰宜ねぎ の上妻敏基さん(63)は「姿を保っているのは300年前の職人の丁寧な仕事のおかげ」と話す。

 国宝指定によって極力手を加えないことが求められる今、長期的な維持・管理の方策を模索中だ。その資料とするため、本殿の温度や湿度を約2年間測定し、文化財の修理を手掛ける「国宝修理 装●そうこう 師連盟」(京都市)にデータを提供した。両者は連携して龍柱を最適に保つ環境を探る。(●はさんずいに「黄」の旧字体)

 上妻さんは「龍柱を含め御殿を永続させることが我々の使命。新たな維持の方法を見つけたい」と気を引き締める。

◆霧島神宮= 主祭神はニニギノミコト。一説には540年頃、高千穂峰と御鉢の中間に開かれたのが始まりとされる。霧島の噴火や火災で度々焼失し、現在の社殿は1715年に復興された。本殿・幣殿・拝殿は2022年2月、国宝に指定された。

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