JACの親子機長 父が長男を副操縦士に最終フライト 鹿児島-奄美大島を往復 「最初で最後、人生の区切りに」 客室には家族も

最終フライト後、機体の前で記念撮影する河野秀之さん(左)と翔さん=霧島市溝辺の鹿児島空港

 最終フライト後、機体の前で記念撮影する河野秀之さん(左)と翔さん=霧島市溝辺の鹿児島空港

コックピットに座る河野さん親子=霧島市溝辺の鹿児島空港

 コックピットに座る河野さん親子=霧島市溝辺の鹿児島空港

最終フライトの飛行記録を書く河野秀之さんを笑顔で見守る翔さん(左)=霧島市溝辺の鹿児島空港

 最終フライトの飛行記録を書く河野秀之さんを笑顔で見守る翔さん(左)=霧島市溝辺の鹿児島空港

 日本エアコミューター(JAC、鹿児島県霧島市)で約13年機長を務める河野秀之さん(67)が4日、同じくJAC機長の長男翔さん(38)を副操縦士に据えてコックピットに座った。この日が秀之さんの最終フライト。離島など地域の翼を支えてきたベテランは「最初で最後の貴重な機会。人生の区切りになった」と笑顔で現役を退いた。
 4日午前、鹿児島-奄美大島を往復した。機内には秀之さんの母や妻など家族も乗り込み、親子の操縦に感慨深い様子だった。
 鹿児島空港に着陸すると、同僚が「45年間、長きに渡りありがとうございました!」と印字した横断幕を掲げて迎えた。秀之さんは飛行記録を書き終えると、翔さんとグータッチを交わして喜び合った。
 「快適なフライトにできた。隣に座った息子を頼もしく思った」と秀之さん。翔さんは「周囲の人に常に感謝する姿勢を受け継ぎたい」と話した。
 秀之さんは東京都出身。航空大学校を卒業し、1977年に東亜国内航空(現日本航空)に入社した。JACに出向した2010年、機長になった。総飛行時間は1万8557時間。

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