『はだしのゲン』が広島市立小中高校の平和教材から削除された背景とは? 戦争の記憶を継承できるすぐれた作品を守るために

『シニア右翼』著者・古谷経衡氏に聞く

古谷経衡 作家・評論家

(写真:『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』より)

広島での被爆体験を描いた名作マンガ『はだしのゲン』が今年、広島市立小中高校の平和教材から削除されました。同作品は10年前にも、保守派から批判を浴び、学校図書館での閲覧制限の動きが起きるなど、しばしば論争の的になってきました。古谷氏はかつて保守論壇にいた当時から『はだしのゲン』を称賛し、新作『シニア右翼』でも同作品に触れています。見解を伺いました。

唯一無二の作品

――今年、広島市立小中高校の平和教材から漫画「はだしのゲン」が削除されました。どのように受けとめましたか?

「はだしのゲン」は著者、中沢啓治先生の実際の被爆体験に基づくもので、漫画的に非常に優れた構造になっていることはもちろん、その描写には極めて迫真性があります。

無論、この作品に先行する作品「おれは見た」では、当時広島市舟入本町に住んでいた中沢先生(小学生)は、自宅に向かって避難している中、実母に再会することができ、その間に父、弟、姉が焼け死んだと母から知らされるのが実際です。つまり本作の中である「家の下敷きになった親兄弟と末期の別れを交わす」シーンは後世の想像です。また母が半狂乱になったところで近所に住んでいた朴さんという朝鮮人に助けられたとする場面も、実際は「坂本さん」という日本人であることが中沢先生の創作秘話から明らかにされております。

つまり「はだしのゲン」は漫画的には確かに「演出」として敢えてそうしたところはありますが、それはあくまで漫画表現であって本作の迫真性や真実性を毀損するものではない。被爆者の凄まじい描写は、多くの被爆者の証言と共通するところであり、戦後になって中国新聞社の松重美人氏が爆心から南に2.2キロメートルの御幸橋(みゆきばし)西詰で撮った写真(8月6日午前11時頃)にも、ほぼ同様の被爆者の姿が記録されていることから、被爆の実相はむしろ「演出」というものを排除した冷静な描写で、それですら中沢先生は「これでも遠慮がちに描写した」むね述懐されております。

つまり「はだしのゲン」は、前述した松重氏の「8月6日の広島市内写真5枚」を除いては、米軍の撮影した上空からのきのこ雲(アグニュー映像)以外に、視覚的なものがほぼ何もない中で、極めて原爆の惨状を視覚的に伝えることができる唯一無二の作品であり、その代替は存在しません。代替が存在しないのですから、削除は理屈がありません。

今回、副教材から「はだしのゲン」が除外されたことは極めて遺憾であります。平和資料館の蝋人形が数年前に撤去されたときも論争が起こりましたが、その根底には「あまりにもすさまじく非人道的な原爆の実相を子供たちに教えてしまうと、反米感情が芽生えてしまうのではないか」という大人側の、ある種の政治的勢力の対米忖度や、またはその周辺からの圧力を事前に察知して先回りして手を打つ風潮の一環に、今回の「はだしのゲン」削除騒動はあるように考えます。

『はだしのゲン 1』(著:中沢 啓治/中公文庫)

とりわけ北朝鮮の核開発や中国の軍事的覇権が明白ないま、日本の防衛は在日米軍やアメリカ頼みが亢進している中、「反米機運の醸成」に繋がる一切のところは、出来るだけ遠ざけたほうがいいのではないか、という「忖度と逡巡」の果てにあったのが今回の削除の根源的背景にあるのではないか。「アメリカの原爆加害への批判」と「現在にあっての日米安保協力」は本来、心情的なものはともかく軍事的には両立するはずですが、「反米感情が子供たちに広まるのは好ましくない」という異常な忖度が問題の根幹にあるのではないでしょうか。

自由な時代だった

――古谷さんは保守雑誌『JAPANISM』2011年8月号の「アニメ的愛国論」で、「再考『はだしのゲン』」という論考を発表していますね。『はだしのゲン』に対して「左傾的思想漫画」との批判がうずまく保守論壇のなかで、当時このような論考を発表されたことに対して、社内外のあつれきはなかったでしょうか。

私はこの雑誌で後に編集長をやるまでになりましたから、少なからぬ権限を持っていました。原稿は社主(版元側)にチェックをされますが、すでに述べたように保守派と呼ばれる人々はそもそも「はだしのゲン」を通読していないので、「愛国論」と冠して、詳細については技術的なことに終始してしまえば、原稿の内容についてはほとんど何も言われませんでした。

ことほど左様にこの界隈は読書習慣がなく、好きな保守系言論人の本や寄稿雑誌を買うには買いますが、タイトルを読むだけで本文は読まない場合が多いのです。いわゆる積ん読です。拙著『シニア右翼』でも書かせていただきましたが、私の初期の本を最も熱心に読み、付箋をいっぱいつけて会いに来てくれたのは、保守系の読者ではなく朝日新聞の記者でした(のちに該記者による、朝日新聞紙面における都知事選挙記事での私のコメントは、私が保守界隈から白眼視される遠因のひとつになりましたが・笑)。

よって、社内外の軋轢というものはございません。逆にいえばタイトルに「愛国」とか「左翼を斬る」「中国、韓国のおぞましい反日」などとつければ、なんでも書けた時代です。だって中身なんか読んでませんもの。私はこの雑誌で「アイアムアヒーロー」(花沢健吾作)の書評とロケ地探記も書いてます。政治的保守と何にも関係ないですが、「ジョージ・A・ロメロを超越する国産ゾンビ作品の本格的黎明」などと文化ナショナリズムを称揚しておけば、なんでも書けたんですね。懐かしいです、いびつですが自由な時代でした。

『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(著:古谷経衡/中央公論新社)

現在にも通底する人間批評

――『シニア右翼』では、『はだしのゲン』の象徴的な場面を引用していますね。戦前に翼賛体制を賛美しながらも、戦後に手のひらを返して平和を説く鮫島伝次郎に対して、その矛盾を主人公の中岡元が鋭く衝く場面です。あらためてお尋ねしますが、なぜこの場面に着目されたのでしょうか。

鮫島は、ゲンの住む広島市の舟入本町というところで町内会会長をやっているという設定です。鮫島は、反戦平和主義であるゲンの父と中岡家を指弾する急先鋒で、戦中日本人の封建的で抑圧的で翼賛的な中産階級の象徴として描かれます。

作中で鮫島の家業は明らかにされていませんが、まず地域の地主と言ったところでしょうか。かといってインテリという訳でもなさそうだし、一方でいわゆる「ブルーカラー」でもない中産階級です。

丸山眞男はこのようなエリートでも下層でもない中産階級が、戦時中の翼賛体制を支えた主力だとして彼らを「中間階級第一類」と名づけました。つまり地域における主導的な役割であり、社会の下士官(末端の一兵卒ではない)というわけです。これに対して第二類は、戦争を消極的傍観、あるいはこれまた消極的に嫌悪していたインテリとして位置づけます。この分類の評価はともかく、鮫島はまさに絵にかいたような中間階級第一類です。

鮫島は、8月6日の原爆の日、それまでさんざん「非国民」と罵っていたゲンに対して「中岡のぼっちゃん」とまで呼んで助命を求めます。原爆の爆風で胴体が家の柱に挟まっていたんですね。ゲンの助力で鮫島は助かるのですが、戦後、鮫島は広島市議会議員として何食わぬ顔で立候補演説をしているのをゲンは目撃するのです。あれだけ体制側だった鮫島が、自らを「平和の戦士」と名乗り、「わたくしは戦争反対を強く叫びとおしておりました」などと、嘘八百を並べるわけです。これにゲンは激怒するのですが、これは鮫島個人というよりも、標準的な日本人全体を捉えた本質であると思う。

戦前は鬼畜米英と言っていたのに、戦後はそれを無かったことにして「平和の戦士」などと嘘をつく。これこそ歴史修正主義なんですが、多かれ少なかれ、戦前の体制にいた人々は戦後の「逆コース」でまたぞろ政財官に返り咲きましたから、その魂魄は鮫島と似たり寄ったりかなと思う。つまりなんの価値観も、信念も、理念も持っておらず、「その時、その都度にあって、最も自分にとって利益のある価値観や体制にすり寄っていく」。そういったある種の日本人の醜悪さを凝縮したのが鮫島です。

もしかしたら鮫島は元々軍国主義者ですらなかったのではないか。「今だけ、金だけ、自分だけ」。それのみを考えていたからこそ、簡単に逆のことを言うわけです。

今でもいますよね。「体制に阿(おもね)った方がお得なんだ」と言わんばかりに、微温的に権力を擁護して日銭を稼いだり、権力との距離をカードにどこかの大学の教員やシンクタンクの役員になったり、あるいは同様に、権力との近さを匂わせて自然エネルギーで儲けようとしたり。こういう連中は全部鮫島ですよね。ゲンはこの醜さが許せないんですね。醜いというか卑小であり、それが故に無辜(むこ)の犠牲者が何百万人も出た。で、その悲劇が自分の責であるのに反省するどころか最初からなかったことにしている。そのことが許せないから、中沢先生に仮託されたゲンが、戦後の鮫島の「変節」に最も激烈な怒りの感情を表すのですね。現在にも通底する人間批評と思います。

名場面の一つは「堀川ガラス店」

――鮫島伝次郎の場面のほかに、これぞという名場面をいくつか挙げていただけないでしょうか。

私が「はだしのゲン」の名場面をあげると、10万文字は越えてしまうのですが・笑。最も好きなシークエンスは第一巻の「堀川ガラス店」の部分です。恐らく日中戦争で徴兵され、地雷で足を吹き飛ばされて片足になってしまった障がい者の堀川が、被爆直前の広島市内でガラス店を経営している。妻からは「片足だけで生きてかえってこられただけでもよろこばなくては……」とされるが、堀川ガラス店の経営は苦しく、日々の仕入れもままならず、借金はかさむばかり。そんな中、突然堀川ガラス店に近隣民家から大量の注文が舞い込む。一挙に活気づいた堀川は借金を返すことができ、つかのま経営のめどもついてひと安どしていた。

ところがこのガラス注文は、ゲンによる故意の、民家での連続ガラス破壊によってもたらされた「特需」だったのです。戦争で障がい者になり、日々の生活に苦しむ堀川の姿を見て、不憫(ふびん)に思ったゲンが悪役を買って出たのです。堀川は、民間人に「ガラス破壊魔」として捕縛されたゲンの姿を見て初めてその真実に気が付きます。当然、父母に引き渡されたゲンは親父からも大勘気で、屋上のベランダに縄のぐるぐる巻きの体罰にあう。ところがそこに堀川が現れ、事情を説明する。「おとうさん、ええお子さんをおもちですね」。父親はゲンの咎(とが)を赦しますが、その際堀川からゲンが欲しがっていた軍艦模型(長門型?)を渡される。堀川の息子は早世しており、軍艦模型は形見であったが、この恩の礼ということでゲンにわたったのです。ゲンは大喜びしましたが、結局この軍艦は「兄の矜持」でもって、弟の進次に譲渡されます。

これはたんなる創作美談ではありません。堀川ガラス店の被爆後の姿は描かれていませんが、皮肉なことに堀川が結果としてゲンの憐憫により調達した窓ガラスは、原爆の爆風によって無辜の広島市民に雨あられと突き刺さり、残酷にもその命を奪うことになる。そしておそらく、国のために尽くしたにもかかわらず顧みられることなく貧困生活を送っていた善人の堀川夫妻も、原爆で即死したのでしょう。そして堀川からゲンを通じて軍艦模型を渡された弟の進次は、この軍艦模型を抱いたまま原爆火災で生きたまま焼かれて死ぬのです。

このような後日を想像するに、このシーンは実に皮肉であり、善人も悪人も加害者も被害者もまるごと焼きつくして殺す原爆の惨たらしい無差別性が暗示されているのだと思います。

せめて記憶だけは継承を

――古谷さんは「戦争を総括してこなかったがゆえに、戦後日本は腐った基礎の上に家を建てているようなものだ」と指摘していますね。この持論をふまえて、『はだしのゲン』のほかに参考になるような漫画やアニメがあれば教えてください。

『うしろの正面だあれ』。何を差し置いてもこれです。東京大空襲を描いたアニメ作品、原作は海老名香葉子氏です。これも「はだしのゲン」と同様に作者の実体験に基づいており、戦争を扱ったアニメの中でも不滅の金字塔というべき作品です。

3月10日にかかわらず、繰り返し繰り返し見なければなりません。戦争の総括をしてこなかったが故の「未完の戦後民主主義」は『シニア右翼』最大のテーマであり、とくに後半において深く展開しましたが、最大の背景は「戦争記憶の無継承と無点検」にあります。歴史を現在から点検することは、様々な恣意が入ることは当然ですが、せめて記憶だけは継承しなければなりません。疑似的にでも追体験しなければならないのです。

そのために私は、せめてものという意味で、インパール、コヒマ、ベトナム、ジャワ、フィリピン、沖縄、マリアナ等に行ってまいりました。しかしなかなかそういたフィールドワークが難しいという場合は、「はだしのゲン」のような視覚的物語として受容するのが一番です。「うしろの正面だあれ」は「はだしのゲン」と双璧をなす大傑作であり、当時文部省推薦として制作されたものですが、現在は地上波放送などの機会はほとんど絶無です。少しでもいいから、こういったすぐれた作品群によって記憶の継承を試みるべきではないでしょうか。

『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(著:古谷経衡/中央公論新社)

久しぶりに実家に帰ると、穏健だった親が急に政治に目覚め、YouTubeで右傾的番組の視聴者になり、保守系論壇誌の定期購読者になっていた――。こんな事例があなたの隣りで起きているかもしれない。
導火線に一気に火を付けたのは、ネット動画という一撃である。シニア層はネットへの接触歴がこれまで未熟だったことから、リテラシーがきわめて低く、デマや陰謀論に騙されやすい。そんな実態を近年のネット技術史から読み解く。

コメント