【南日本銀行】鹿児島の無尽組織が結集して誕生|ご当地銀行の合従連衡史

2022/08/19

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南日本銀行東京支店(千代田区)。ビル8階にオフィスを構え、ATMを持たない“空中店舗”である

鹿児島市内に本社を置く南日本銀行は県内はもちろん、熊本県や宮崎県、さらに福岡県に店舗を構える。東京支店はATM(現金預け払い機)を持たない、いわゆる空中店舗だが、九州の第二地銀協会加盟行の中で唯一、東京に支店を置く。

南九州の無尽組織が合併を重ねて110周年

南日本銀行の創業は1913年9月。現在の霧島市に本店を置く同仁貯金という合資会社としてスタートした。ただ、同仁貯金という貯蓄機能を持つ金融機関の社名での事業活動は2年ほどで、以後は社名変更を重ねている。

まず、1915年には無尽業法の制定に伴い、10月に無尽隅州産業資金に改称。1917年12月に隅州産業無尽に、1924年11月に鹿児島無尽に改称した。1936年6月には同社名で、これまでの合資会社から株式会社へと業務を継承して組織変更する。

鹿児島無尽は、1942年2月に大島無尽と第一産業無尽、富国無尽と同社の4無尽が新立合併し、新しくスタートを切った。

翌1943年11月、鹿児島無尽は鹿児島相互無尽と合併した。そしてその経営は、終戦直後まで続く。1951年10月に、鹿児島無尽は南九州殖産無尽を買収し、相互銀行法の制定に伴い相銀に転換した。行名は旭相互銀行だった。

旭相互銀行となって以降は1953年9月に太平殖産無尽を、1955年3月に大島無尽(1952年設立)をそれぞれ買収した。そして1989年2月に普通銀行に転換し、「南日本銀行」と改称した。南日本銀行となって以降は合従連衡の動きはなく、2023年に創業110周年を迎える。

無尽組織は明治期から昭和期・戦前にかけて庶民の相互扶助的な金融機関として発展してきたが、第二次大戦期は銀行の1件1行主義と同様に、1県1無尽主義、さらに1経済地域1無尽主義とでもいうべき集約の波にさらされる。南日本銀行、すなわち鹿児島無尽は、その集約の波を乗り切った金融機関である。

2009年に、公的資金注入行に

南日本銀行は2009年3月、第三者割当方式によるA種優先株式150億円を発行した。A種優先株式とは種類株式の1つ。A種株主は他の株主に対して優先的に投資金を回収できる権利を持つ。金融庁が金融機能強化法に基づく公的資金の注入を決定したことに伴い、A種優先株式の発行によって公的資金の注入を受けたことになる。

金融機能強化法は2004年8月に施行された。米国リーマン・ブラザースの破綻を受け、日本の金融機関、特に地方金融機関の経営が悪化する前に、未然に資本増強して貸し渋りを防ぐことを狙って2008年12月に改正された。南日本銀行の対応はその改正金融機能強化法に基づく申請で、当時、全国の地銀では第二地銀大手の札幌北洋ホールディングス(札幌市)に続いて2例目の対応だった。

現在の南日本銀行は第二地銀中位に位置づけられているが、無尽会社として歴史は古く、強固な営業基盤を持っていた。その本社屋は下の写真に見るように、銀行建築としての風格を感じさせる。1998年12月に県内初の登録有形文化財に登録されている。

南日本銀行本店(同行ホームページより)

昭和初期、1937年12月の竣工。鹿児島無尽時代の建造物であり、ルネサンス様式と、過去の芸術様式から分離して生活や機能と結びついた新しい造形芸術の創造をめざしたゼツェッション様式という異なる建築様式の混合体であることが大きな特徴だ。3階までスッと伸びる列柱も重厚で、南九州における商都として名高い鹿児島の歴史を感じさせる。

文:ライター 菱田 秀則

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