会津の巡査どん、鹿児島に眠る 西南戦争で派遣、コレラに倒れる 現役巡査が情報元に墓を発見 指宿

山中にある加藤忠平巡査の墓を捜し当てた肥後屋修平巡査部長=指宿市岩本

 山中にある加藤忠平巡査の墓を捜し当てた肥後屋修平巡査部長=指宿市岩本

〈関連〉福島県士族であることが記された墓の側面

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 鹿児島県指宿市岩本の小高い丘に福島県出身の警察官の墓がある。西南戦争があった1877(明治10)年に亡くなり、地域住民が建てたとされる。指宿警察署の署員有志と住民が昨年末、墓を捜し当て、雑木を切り払って参拝できるように整備した。
 墓や指宿署に残る資料などによると、葬られているのは会津士族の加藤忠平二等巡査。西南戦争の際に指宿に派遣され、コレラにかかって病没した。墓は国指定史跡「今和泉島津家墓所」の裏手の山を登った頂上にある。日清日露の戦没者碑や西南の役戦没者碑の横に登り口があったが、雑草木が生い茂り、長らく場所が分からなくなっていた。
 岩本駐在所の肥後屋修平巡査部長(41)が問い合わせを受けて調べたところ、1973(昭和48)年に草むらから発見され、かつては「巡査どんの墓」と呼ばれていたことなどが分かった。しかし、墓の存在は地域住民にも忘れられており、昨年末、有志を募って捜索した。署に残っていた簡略図を頼りに、やぶに分け入って石で囲まれた墓を見つけた。
 捜索に参加した馬場畑末治さん(68)=同市小牧=は「墓の存在を知らなかったので驚いた。見晴らしのいい場所に建てられていることから、地元の人とも親交があったのだろう。地域の宝として残したい」と話した。

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