薩摩の川路利良像、「魂」と共に 彫刻家「一心に仕事の人」―葛藤の子孫、送るエール・警視庁150年

鹿児島県警本部前に建つ川路利良大警視の銅像=5日、鹿児島市

鹿児島県警本部前に建つ川路利良大警視の銅像=5日、鹿児島市

川路利良大警視の銅像の記念品を手にする制作者の彫刻家・中村晋也さん=5日、鹿児島市

 創立150年を迎えた警視庁の初代大警視(現在の警視総監)、川路利良(1834~79年)の銅像が故郷、鹿児島市の鹿児島県警本部前に建てられている。「聲無キニ聞キ 形無キニ見ル」。台座に刻まれるのは警察官の心得として川路が残した言葉だ。表面的な事柄に流されず、奥に隠されたものを探し出すとの意味だという。

 明治政府は1872年、川路に欧州の警察制度視察を指示。帰国した川路は首都警察の実現を促す建議書を提出し、74年1月15日に東京警視庁が創立された。警察制度の礎を築いた「日本警察の父」とも呼ばれる。
 没後120年に当たる1999年に建てられた銅像は、県警OBらの依頼で、鹿児島市の彫刻家、中村晋也さん(97)が制作した。
 OBらは川路の言葉を残した書籍「警察手眼」の一節「聲無キニ聞キ 形無キニ見ル」を引き合いに、「『警察官になる際は必ず胸に刻む。これが私たちの魂です』と力説していた」という。当時、各地で警察不祥事が相次いでおり、中村さんはOBらの「川路の魂を伝え、改めて引き締めてほしい」という願いを銅像に込めた。
 制作の際は警視庁や東京都内の墓を訪れ、川路の人となりを取材した。肖像画を見て優しい人柄だと直感。「ふんぞり返っているよりも警察に向き合い一心に仕事をした人」との思いから、銅像は勤務時に身に着ける「常服」を模した。
 川路は西南戦争で、当時の警視庁が編成した抜刀隊を指揮し、同郷で自身を重用した西郷隆盛の制圧に当たった。歴史的経緯から、県民の間には川路を「裏切り者」とみる風潮もあった。
 川路のやしゃごで、都内に住む川路利永さん(74)は99年、鹿児島市での銅像の除幕式に出席した。鹿児島県警に依頼し警察官2人に同行してもらったといい、「鹿児島には心理的に距離感があり、恐怖心もあった」と話す。式典に先立ち西郷の墓も訪れ、「代々足を踏み入れられなかった場所に、川路が戻ってまいりました」と報告したという。
 銅像建立をきっかけに、「『ようやく認められた』と感慨深かった」と語る利永さん。「これからも利良の言葉を胸に、熱意を持って取り組んでほしい」と次の時代に臨む警視庁にエールを送った。

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