鹿児島の「そうめん流し」いつから? 約200年前 江戸時代の旅行記に記述 渓谷水の流れ利用「夏のよき楽しみ」 風土が育てた食文化 論文に

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慈眼寺そうめん流し=鹿児島市下福元町=で、そうめん流しを楽しむ人(資料写真)

 鹿児島の夏の風物詩「そうめん流し」の歴史を調べた南さつま市加世田武田の橋口亘(わたる)さん(46)が、文化財研究誌「南日本文化財研究」に論文「江戸時代の薩摩における素麺流し(そうめん流し)について」を7月発表した。歴史が深く、鹿児島の風土が育てた食文化と論じている。
 論文では、薩摩を訪れた大坂商人・高木善助の旅行記の記述から、約200年前の江戸時代の文政期(1818~30年)頃までには、慈眼寺(鹿児島市)の渓谷水の流れを利用したそうめん流しが夏場の「よき楽しみ」として慣習化していた、と指摘する。
 江戸の伊東陵舎(りょうしゃ)が天保期(1830~44年)に記した旅行記「鹿児島風流」の言い回しにも注目し、薩摩では江戸時代から「流しそうめん」と異なる「そうめん流し」という名称が使われたと説く。
 江戸時代の万之瀬川の河添(こせ、河瀬)渓谷=南さつま市=でのそうめん流しや川魚料理などについても紹介。現代で定番の「そうめん流しに川魚料理・アルコール」といった食事メニューの源流がうかがえるという。
 慈眼寺や河添渓谷の地質環境も踏まえ、鹿児島のそうめん流しは「溶結凝灰岩の渓谷が育んだ」とする。そうめん流しにまつわる史料・絵図のほか、河添渓谷で1965年に撮影された、清水が流れる岩盤のくぼみに入れたそうめんを、しゃがみながら食べる人々の写真なども添える。
 橋口さんは「興味深い歴史がある食文化。渓谷の自然環境なども含め大切にしてほしい」と話した。

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