元関脇寺尾の錣山親方死去、16日に不整脈で容体急変 最期は入院先で弟子の阿炎らにみとられ

元関脇寺尾の錣山親方(10年2月)

元関脇寺尾の錣山親方(10年2月)

元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日午後8時27分、死去した。部屋関係者によると、秋場所14日目の9月23日から約3カ月入院していた都内の病院で、弟子の小結阿炎らにみとられ、息を引き取った。

入院の要因でもあった不整脈により、16日夕方に容体が急変。危篤状態となっていたという。

阿炎ら冬巡業に参加していた弟子たちは、この日午前に巡業先の大阪を出発して帰京。昼過ぎに1度、東京・江東区の部屋に立ち寄った後、関係者の車で病院に向かっていた。部屋関係者は「約3カ月の入院で、体調は落ち着いてきていたのですが、心臓の不整脈で昨日(16日)の夕方に容体が急変しました」と、悲しみをこらえ、無念そうな表情で話していた。

【悼む】元関脇寺尾の錣山親方「口から出そうで」座りながら寝て増量 ニトログリセリン手放せず

突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳だった。父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。以前から不整脈など心臓に持病を抱えていた。先月の九州場所も全休して約2カ月間入院。その後退院し、復帰に向けてリハビリを続けてきたが、体調が急変した。

   ◇   ◇   ◇

入社1年目の87年1月だった。相撲担当になって初めて取材したのが、名前に合わせて「井筒部屋」だった。だが、部屋の入り口が分からない。迷った末に扉を開けたが、目の前に稽古場。「そこは入り口じゃないよ」。怒声を含んだ声の主が寺尾関だった。平謝りして玄関から上がり座敷へ。緊張のまま稽古が終わり、改めて名刺を渡してあいさつした。「日刊スポーツの井筒です」。

「えっ、井筒って本名なの?」。寺尾関の表情が一気に緩んだ。同学年ということもあって、それから仲良くしてもらうようになった。

何度か共にした食事の際に言っていた。「昔は食事も楽しくなかったんだよ」。体重を増やすため、無理やり食べた。「冗談じゃなく、のどまで食べたものがあるぐらい。横になると口から出そうで、座ったまま寝たことも何度もある」。そんな苦労と稽古を重ね、人気力士となった。

知人が務める保健所のイベントに参加してもらったことがあった。当時の寺尾人気はすさまじく、駄目元で頼んでみた。快諾してもらえたが“条件”を提案された。「若い衆を2人連れていきたい。俺はいいから祝儀はその2人に渡してほしい」。稽古場では若い衆に厳しかったが、普段の生活では優しい兄貴分だった。

コロナ禍もあって、19年春場所前に会ったのが最後だった。「これが手放せないんだよ」と、食事の時もニトログリセリンを手にしていた。その年の9月に逆鉾関が亡くなってから、わずか4年で懇意にしてもらった井筒3兄弟とお別れになるとは…。胸が押しつぶされそうだ。【元相撲担当・井筒靖明】

努力貫いた「鉄人」 寺尾、不屈の人気力士―死去した錣山親方

大相撲春場所で寺尾(左)の関脇昇進が決まり、兄の逆鉾(右)と並んで兄弟関脇が誕生=1989年2月、大阪府

大相撲春場所で寺尾(左)の関脇昇進が決まり、兄の逆鉾(右)と並んで兄弟関脇が誕生=1989年2月、大阪府

貴花田(左)に寄り切りで敗れる寺尾=1991年11月、福岡国際センター

新小結に昇進した阿炎(左)と握手する師匠の錣山親方(右、元関脇寺尾)=2019年6月、名古屋市中区

 引き締まった体から繰り出される回転のいい突っ張りと、端正なマスク。60歳で亡くなった元関脇寺尾の錣山(しころやま)親方は横綱、大関をもしのぐ歓声を集める人気力士だった。

 「もろ差しの名人」と呼ばれた元関脇鶴ケ嶺を父に持ち、長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾。「井筒3兄弟」の末弟は、気力を振り絞って全盛期の横綱千代の富士らに挑んだ。
 1991年春場所。破竹の快進撃を続けていた貴花田(後の横綱貴乃花)の初挑戦を受けた。激しい攻防の末に敗れ、引き揚げる際に手にしていたタオルをたたき付け、悔しさをあらわに。座右の銘は「きょう一日の努力」。その日の一番に懸ける思いの強さをのぞかせた。
 兄の逆鉾はよく、「おれも弟くらい稽古していればなあ」と末弟の鍛錬ぶりを回想した。110キロ台の軽量で上位陣に挑むには、人一倍の汗を流すしかない。自身を奮い立たせ、もろ手からの突き押しを磨いた。
 97年春場所で右足親指を骨折。初土俵からの通算連続出場が1359回(歴代7位)で止まったものの、当時34歳の「鉄人」は屈しなかった。翌場所も全休して復帰した同年7月の名古屋場所で9勝。3年後には十両に転落したが、2001年春場所では38歳で幕内返り咲き、「あのけががプラスになっている」。
 阿炎が師匠譲りの猛攻を披露して、22年九州場所で初賜杯を抱いた。新型コロナウイルス対策のガイドラインに違反し、3場所の出場停止処分などを受けた弟子を、「迷惑をかけただけ稽古して返せ」と叱咤(しった)激励。不屈の心意気と技をしっかり継承していた。

元関脇の寺尾が60歳で死去…気っぷのいい突き押しと甘いマスクで人気

 大相撲の 錣山しころやま 親方(元関脇寺尾、本名福薗好文=ふくぞの・よしふみ)が17日に死去したことが同日、日本相撲協会関係者への取材でわかった。60歳だった。

元関脇の寺尾が60歳で死去…気っぷのいい突き押しと甘いマスクで人気

元寺尾の錣山矩幸さん(2014年5月)

 鹿児島県出身。元関脇鶴ヶ嶺を父に持つ「井筒3兄弟」の三男で、兄には2019年に死去した元関脇逆鉾がいた。現役時代は気っぷのいい突き押し相撲と、甘いマスクで人気を集めた。逆鉾と兄弟で三役も務め、殊勲賞、敢闘賞を各3回受賞。技能賞も1回獲得した。

 現役引退後は錣山親方として後進の指導にあたり、元関脇で小結の阿炎関らを育てた。

元関脇の寺尾が60歳で死去…気っぷのいい突き押しと甘いマスクで人気

コメント