山形屋社主 岩元恭一氏が死去 83歳 社長、会長を歴任 鹿児島市街地の活性化にも注力

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岩元恭一氏

岩元恭一氏

 鹿児島市の百貨店・山形屋で社長、会長を歴任した社主の岩元恭一(いわもと・きょういち)氏が11日午後11時2分、肺炎のため、鹿児島市内の病院で死去した。83歳。神戸市生まれ。通夜、葬儀は近親者を中心に済ませた。喪主は次男修士(しゅうじ)氏。お別れの会を10月20日午後1時から、鹿児島市新照院町41の1、城山ホテル鹿児島で開く。
 1939年生まれ。幼い頃に鹿児島市に移り住んだ。慶応大学経済学部卒業後、三菱造船、大丸を経て66年山形屋に入社。89年社長、2001年会長、05年社主。20年末ごろから、結腸がんのため療養中だった。
 71~73年に山形屋社長を務めた樋口佳雄氏の長男。64年、岩元家の婿養子となった。現会長の純吉氏は長男、社長の修士氏は次男。
 社長在任中、91年にいち早く65歳以上の雇用制度を導入した。98年に1号館外壁を改修、大正初期にあったルネサンス調の装飾を復元した。
 社長退任後は中心市街地の活性化に力を注いだ。鹿児島港本港区の暫定開発では事業会社・鹿児島ウォーターフロントの社長となり、商業施設ドルフィンポート開業につなげた。鹿児島商工会議所副会頭、鹿児島観光コンベンション協会副理事長などを歴任した。

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