平和への願いを鹿屋から

終戦から78年。鹿児島県出身の特攻隊員が残した言葉や思いに触れていきます。

終戦から78年。鹿児島県出身の特攻隊員が残した言葉や思いに触れていきます。

鹿児島出身の若き隊員40人が特攻で帰らぬ人に

〝特攻の地〟で平和の尊さを発信し続ける「知覧特攻平和会館」。陸軍の沖縄特攻作戦で亡くなった隊員1036人の遺影や遺書、遺品などが保存・公開されています。
この夏平和会館を訪れたのは、リビング読者の岸本由美さんと小学6年の穂華(ほのか)ちゃん親子。鹿児島市出身の岸本さんは自身の学校行事で訪れて以来、久しぶりの訪問です。「娘にも戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝えたい」と話します。
「特攻隊には全国各地から隊員が集められましたが、鹿児島県内からも40人が沖縄戦へ出撃して命を落としました」と話すのは、知覧特攻平和会館の学芸員・若松重弘さんです。「特攻で亡くなった1036人それぞれに大切な家族がいて、夢や希望があったはずです。今回は鹿児島県出身の3人の隊員を紹介します」と岸本さん親子を案内してくれました。
※この特集はリビングかごしま8/12号のフロント特集を再録したものです


▲学芸員の若松重弘さんの話を聞く、岸本由美さんと穂華ちゃん

「特攻」とは、重さ250kgの爆弾を付けた飛行機にパイロットが乗ったまま、敵の艦船に体当たりして沈める攻撃のこと。パイロットは必ず亡くなる〝必死〟の作戦でした。
陸軍の沖縄特攻作戦は昭和20年3月から7月まで行われ、1036人の特攻隊員が命を落としました。主に九州各地の飛行場から出撃しましたが、本土最南端だった知覧基地が最も多く、1036人のうち439人が知覧からの出撃でした。また、亡くなった特攻隊員は17歳から32歳、平均年齢21.6歳と多くの若者が犠牲になったのです。


▲特攻隊の出撃を見送る女学生

知覧特攻平和会館には、特攻隊員の遺影や遺品などの他、特攻機としても使われた一式戦闘機「隼」の実寸レプリカ、当時の知覧飛行場を再現した模型なども展示されています。


旧隼人町出身の若松藤夫少尉は、19歳で亡くなった少年飛行兵。昭和20年6月3日に知覧から出撃し、沖縄周辺の海上で亡くなりました。
出撃の前の晩に書いた母親宛ての遺書が残されています。遺書の中では、最初に〝母様〟。そして最後に〝母様藤夫は笑って征きます〟と記され、2度、母親へ呼びかける場面があります。「母を悲しませたくない、という思い。また、今まで育ててくれた母への感謝の気持ちが感じられます。多くの特攻隊員は、出撃前に愛する家族や恋人に遺書や手紙を残していますが、母親への思いが書かれているものが多いです」と説明する学芸員の若松さん。岸本さんは「私自身も母親になった今は、〝笑って征きます〟という言葉が胸に迫ります」と話します。

 特攻隊の中では年齢が高い30歳で亡くなった、鹿児島市出身の倉元利雄大尉。昭和20年2月に結婚式を挙げたばかりで、妻を悲しませたくないとの思いから、最後まで妻に特攻隊員であることを知らせずに出撃しています。
当時妻は妊娠していて、倉元大尉は出撃前に妻と生まれてくるわが子へ手紙を残しました。「子どもへの手紙には〝愛児よ 若し御許が男子であったなら、御父様に負けない立派な日本人になれ 若し御許が女子であったなら、気だてのやさしい女性になって呉れ〟と記されていて、男の子なら〝宏〟女の子なら〝僚子〟と書かれた命名書も残しました。翌年生まれた子どもは女の子だったそうです」と学芸員の若松さん。

 橋之口勇少尉は、旧川辺町の出身。福岡県の飛行学校でパイロット教育を受けていた際に、出身地の上空を飛ぶ〝郷土訪問飛行〟という訓練で川辺を訪れたという記事が、昭和18年の新聞に紹介されています。「当時は、母校の子どもたちや地元住民挙げての大歓迎を受けたようです」と若松さん。
その2年後、パイロットになった橋之口少尉は特攻隊として知覧から出撃し、命を落としました。遺筆には〝必沈〟と力強く書かれ、出撃前の決意が記されています。「文中の〝噫々盡忠の薩摩男子〟は、〝ああ、忠を尽くす薩摩男子〟という意味です。鹿児島の男性として国へ忠義を尽くし、敵艦を必ず沈める、という強い思いがつづられています」


 「特攻という悲しい出来事がこの地で本当にあったことを実感しました。今の日本の平和が、多くの犠牲の上にあることを忘れてはいけない、と強く感じます」と岸本さん。戦争の悲惨さを知った穂華ちゃんも「もっと勉強して、夏休みの自由研究にします」と話していました。


知覧の夏のイベントへ行こう

今年の夏は知覧を訪れて、自分自身の目で戦争の悲惨さや平和の尊さを感じませんか。

開催中

知覧特攻平和会館 企画展
学鷲の軌跡ー学徒出陣80年ー

 知覧特攻平和会館では、10月31日まで企画展「学鷲(がくわし)の軌跡」を開催中です。大学生や専門学校生が兵役に就くようになった〝学徒出陣〟から、今年で80年。短期間で教育され、特攻隊員として出撃した人も多くいました。〝学鷲〟と呼ばれた彼らの軌跡を、特攻隊員になった経緯や遺筆、関係者の証言映像などを交えてたどります。ぜひ足を運んでみて。

【期間】 10月31日(火)まで
9時〜17時(入館は16時30分まで)
【会場】 知覧特攻平和会館 企画展示室
南九州市知覧町郡17881 TEL 0993・83・2525
【観覧料】 高校生以上500円、小中学生300円
※常設展示も閲覧できます詳細はこちら

8/15開催

今年で34回目
平和へのメッセージfrom知覧

〝いのちの尊さ・平和の大切さ〟がテーマのスピーチ原稿が、全国から2560点寄せられました。この中から厳正な審査を通過した10人が、平和を願うメッセージをスピーチします。今年は演奏家によるコンサートも実施。インターネットでもライブ配信されるので下の詳細ボタンから視聴を。

【期間】 8月15日(火) 9時〜12時
【会場】 知覧文化会館 大ホール
南九州市知覧町郡17881 TEL 0993・83・2111
【観覧料】 無料 
※インターネットライブ配信でも視聴できます詳細はこちら


【リビングインタビュー】
知覧特攻平和会館 語り部 松山 尚子さん
※インタビューページはこちらから

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