戦国武将も防災を意識していた? 南九州の山城跡で多数見つかっている「謎穴」、その使い道に新たな有力説

知覧城で見つかった竪穴土坑=南九州市(ミュージアム知覧提供)

 知覧城で見つかった竪穴土坑=南九州市(ミュージアム知覧提供)

【地図】「謎穴」がある山城跡は南九州にこんなにあった

 【地図】「謎穴」がある山城跡は南九州にこんなにあった

 南九州にある多くの山城跡で見つかった大きな縦穴(竪穴土坑)について、鹿児島県考古学会の上田耕副会長が「シラスの透水性を生かした雨水処理施設」との説を発表した。これまでトイレやごみ捨て場、井戸などの説があったが、決め手に欠き“謎穴”とされてきた。複数の専門家が支持し、戦国武将たちが城造りの際に防災を意識していた可能性があるとしている。
 上田さんによると、穴は県内では知覧城(南九州市)や志布志城(志布志市)、一宇治城(日置市)、宮崎でも櫛間(くしま)城(串間市)、都之城(都城市)など両県で計19カ所で確認されている。直径1~6メートル、深さは1~3メートルほど。中には十数カ所発掘された城もある。
 「穴はシラス台地上にある南九州の山城跡に集中している」。鹿児島国際大学の三木靖名誉教授(城郭史)は指摘する。ただ、井戸としては水が出るほどの深さでなかったり、廃棄物やトイレの痕跡がなかったりするケースがあり、用途は疑問とされ続けてきた。
 こうした中、着目されたのがシラスの性質だ。鹿児島大学の大木公彦名誉教授(地質学)によると、シラスは水を通しやすく、いったん含んだ水はゆっくりと外部にしみ出す。
 穴は表土や腐植土層を掘り抜き、その下のシラス層まで達している点が共通する。上田さんは「水をシラスの層に早く浸透させ、さらに深い場所へと拡散する。効率よく排水し、城が崩れるのを防ぐ工夫だったと考えられる」とみる。見つかる場所にも傾向があり、城を構成する区画「曲輪(くるわ)」の外縁近くが多い。曲輪は土を盛った土塁に囲まれ、水がたまりやすい場所だ。
 武将たちが城の雨対策に取り組んでいたことは史料からも分かる。島津義久の重臣、上井覚兼の日記には旧暦の5、6月ごろ「水流の普請」との記述が複数登場する。新暦では梅雨や台風シーズンの6、7月に当たる時期だ。「現代語訳 上井覚兼日記」シリーズの編著者、新名一仁さんは「穴と直接結びつく具体的な工法は書かれていないが、雨水対策は城の維持に不可欠だったことは分かる」と語る。
 城郭研究に一石を投じる説にもなりそうだ。佐賀大学の宮武正登教授(城郭史)は「これまで城の維持に関する議論は十分ではなかった。全国に問題提起できる」と指摘。「長年シラスと付き合った武士の知恵と技術が詰まった施設と考えると面白い」と強調する。
 上田さんは今後、城跡での実験や、他地域の排水対策の研究などを進め検証を目指す。「科学的な

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