最後の太鼓踊り 出身者集い渾身の舞 過疎高齢化で子どもの担い手おらず コロナ禍の中止も響く 南さつま・永田集落

永田集落の踊り手による最後の大浦太鼓踊り奉納=南さつま市大浦町の日新祠堂

 永田集落の踊り手による最後の大浦太鼓踊り奉納=南さつま市大浦町の日新祠堂

【別カット】永田集落の踊り手による最後の大浦太鼓踊り奉納=南さつま市大浦町の日新祠堂

 【別カット】永田集落の踊り手による最後の大浦太鼓踊り奉納=南さつま市大浦町の日新祠堂

勇壮に舞う上之門集落の踊り手=南さつま市大浦町の日新祠堂

 勇壮に舞う上之門集落の踊り手=南さつま市大浦町の日新祠堂

 鹿児島県南さつま市大浦町の日新祠堂(じっしんしどう)で、永田と上之門の2集落が島津忠良(日新公)ゆかりとされる大浦太鼓踊りを4年ぶりに奉納した。永田集落は、踊り手不足に加え、新型コロナウイルス禍による中止が続いたことも響き今回が最後と決断。有終の美を飾ろうと出身者らが県内外から集まり、渾身(こんしん)の舞で場内を沸かせた。
 太鼓踊りは、日新公が大浦遊行の際に踊ったとされ、地元では「盆踊り」とも呼ばれる。昭和初期には11集落が参加したが、過疎高齢化によって近年は2集落で継承していた。
 永田集落では中止が続く間に、踊りの中心で鉦や小太鼓を担う中学生がいなくなった。子どもの確保が今後も見通せず、練習もできない中、4月の役員会で「コロナで自然消滅するのは忍びない。最後に頑張ろう」との意見でまとまった。
 8月15日、出身者らも多数参加し21人で踊った。福岡市から帰省し稽古を重ねた永川周一さん(67)は53年ぶりに先頭で鉦をたたき、最高齢の下屋守さん(71)は太鼓を抱え勇壮に舞った。
 自治会の戸山修三会長(68)は「元々は28歳以下による二才(にせ)踊りだったがいつしか中高年ばかりとなった。鉦などの技術継承は難しくコロナの空白がなければ続いたかもしれない。何とか形にして締めることができてよかった」。枕崎市の鹿児島水産高校2年の森田蒼さんは唯一の20歳未満。「踊りを忘れずいつか復活できればいい」と語った。
 上之門集落は25人が参加し西福寺や公民館など計3カ所で踊った。自治会の徳留康弘会長(68)は「来

コメント