「平田靱負の志を守り継ぎたい」薩摩義士の慰霊祭 4年ぶりに例年の規模で 鹿児島

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江戸時代に現在の岐阜県の木曽川などで行われた治水工事=「宝暦治水」で命を落とした薩摩義士の慰霊祭が鹿児島市で行われました。
(岐阜県薩摩義士顕彰協議会 松永清彦会長)「(顕彰の言葉)私たち岐阜県民は、その御恩を深く胸に刻み、ご遺徳に対する敬意と感謝の念を末永く伝えてまいる所存であります」
「宝暦治水」は、宝暦3年=1753年に幕府の命を受けて薩摩藩が木曽川、長良川、揖斐川で行った治水工事です。工事はおよそ1年半で完了しましたが80人以上が犠牲となり、指揮を執った家老の平田靱負は責任をとって自害したとされています。
慰霊祭は毎年、平田靱負の命日にあたる5月25日に行われていて、岐阜県からの参加は去年までは新型コロナの影響で少数でしたが、今年は4年ぶりに中学生や高校生などおよそ100人が参加して、例年通りの規模で行われました。
(岐阜県養老町から参加した中学3年生)「感謝の心を大切にしながら、自分たちの生活の中で、平田靱負公の志を大切に守り継いでいきたい」
(鹿児島県薩摩義士顕彰会 島津修久会長)「薩摩義士の偉業を忘れないで、熱心に、大勢来ていただいてありがたい」
県薩摩義士顕彰会によりますと命日から270年目となる来年は、記念行事も計画しているということです。

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