沖縄戦で全滅 旧海軍部隊の「編成表」 司令部壕跡で発見、薬きょうの中に 42人の名前・階級記載 遺族「父が生きた証し」

「渕上正治」さんらの名前が並ぶ旧海軍の編成表と、編成表が入っていた薬きょう(旧海軍司令部壕事業所提供)

 「渕上正治」さんらの名前が並ぶ旧海軍の編成表と、編成表が入っていた薬きょう(旧海軍司令部壕事業所提供)

「渕上正治」さんら鹿児島出身の名前が確認できる編成表(旧海軍司令部壕事業所提供)

 「渕上正治」さんら鹿児島出身の名前が確認できる編成表(旧海軍司令部壕事業所提供)

沖縄で戦死した父渕上正治さんの遺影を持つ茶木久美子さん(左)と渕上千津子さん=出水市中央町

 沖縄で戦死した父渕上正治さんの遺影を持つ茶木久美子さん(左)と渕上千津子さん=出水市中央町

 太平洋戦争末期の沖縄戦の旧海軍司令部壕(ごう)=沖縄県豊見城(とみぐすく)市=から、鹿児島県出身者を含む軍人42人の名前や階級を記した「編成表」が見つかった。旧海軍陸戦隊の「丸山大隊」のものとみられ、砲弾の薬きょう内に折りたたんで保存されていた。全滅状態となった同大隊の詳細はこれまで明らかになっておらず、県内の遺族は「出征したまま遺骨も帰ってこなかった。父が生きた証しが残っていた」と言葉を詰まらせた。
 壕は現在、戦跡公園となっており一部が公開されている。管理する「旧海軍司令部壕事業所」によると、編成表は昨年10月の未公開部分の発掘調査で出土。旧日本軍の25ミリ砲弾の筒状の薬きょう(径約4.5センチ、長さ13センチ)内に折りたたまれた状態で入っていた。
 縦約18センチ、横30センチ。「陸戦隊編成表 中隊長 海軍中尉 丸山友喜」と記され、ほかに41人の氏名が並ぶ。
 防衛庁防衛研修所編さんの「戦史叢書(そうしょ)・沖縄方面海軍作戦」には、丸山大隊の約570人は1945(昭和20)年5月に配備され、陸軍の沖縄本島南部への撤退を援助して米軍と激戦を重ねたと記されている。6月20日、大隊長以下残兵80人ほどが夜襲したが帰還者はなかったとされる。
 那覇市の遺骨収集ボランティア南埜安男さん(58)が沖縄戦で亡くなった人の名を刻む「平和の礎(いしじ)」(糸満市)と照合したところ、「指揮小隊」の「渕上正治」「山下松雄」「上原一徳」さんが鹿児島出身と分かった。熊本や長崎出身者もおり、南埜さんは「九州出身者が中心の部隊だったのではないか」と話す。
 渕上正治さんは44年、44歳で海軍衛生兵曹として出征し、45年に戦死した。6女千津子さん(80)=出水市中央町=は「遺骨もなく、どこで死んだかも分からなかった。編成表が見つかった壕で父の名前を呼びたい」。長女の茶木久美子さん(93)=同=は「人に頼りにされる父だった。沖縄での父の存在を実感できた」と語った。
 旧海軍司令部壕事業所の酒井達也主査(47)は「兵士が生きた証しを残そうと薬きょうに入れたのではないか。戦争の悲惨さや平和について考えるきっかけにしてほしい」と話している。同司令部壕では3月末まで、編成表のほか、今回の調査で見つかった万年筆や印鑑などを展示する遺留品特別展を開いている。

コメント