人間の本当の寿命は「55歳」…?なぜヒトにだけ「老後」があるのか、その根本的な答え

「五十にして天命を知る。六十にして耳順う」―人は老いてこそ、より広い視座に立って公平な判断を下せるという。最新研究によって判明した人間の「老後」が持つ意義を、気鋭の生物学者に訊いた。

小林武彦(こばやし・たけひこ)/’63年、神奈川県生まれ。東京大学定量生命科学研究所教授。著書に『生物はなぜ死ぬのか』ほか。最新刊は『なぜヒトだけが老いるのか』

ヒトの本当の寿命は55歳

高齢者を侮辱する「老害」という言葉をよく聞くようになりました。「老いた人=害悪」という印象を与えるもので、私はまったく好きではありません。老いることには生物学的な意義があり、社会全体がその恩恵を受けている―そう考えるからです。

なぜ人は老いるのか、その理由を解き明かしていきましょう。

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死ぬ直前まで活発に過ごしてパタリと亡くなる、いわゆる「ピンピンコロリ」という死に方が理想と言われますが、実はこの世に存在するほとんどの生物の死はピンピンコロリです。

たとえば産卵のために生まれた川まで遡上するサケは、卵を産んだ直後から急速に老化が進み、たった数日で死に至ります。これは極端な例ですが、基本的に生殖可能期間が終わった個体はすぐに死んでしまいます。それ以降長い「老後」を過ごすヒトは、生物学的には非常に珍しい生き物なのです。

日本人の平均寿命は男性が81・47歳、女性が87・57歳。生殖可能期間(女性の閉経に相当)を終えると約30年の老後が待ち受けています。なぜヒトだけに長い老後があるのでしょうか。

実は生物としてのヒトの本来的な寿命はおそらく約55歳で、数十万年前にはそれくらいの年齢になる前に生殖を終えてサケと同じく老後を迎える前に死んでいたと考えられます。一般的に大型の哺乳動物の主な死因は心不全で、怪我と感染症が続きます。しかしヒトの場合は栄養状態が改善され医療も進歩したことで、そういった原因で死ぬケースは激減しました。

生物学の「おばあちゃん仮説」

その代わり急増した死因ががんです。

がんは長年蓄積された遺伝子の異常によってDNAが壊れることで発生しますが、実はがんで死ぬ野生動物はほとんどいません。遺伝子に異常が蓄積されてがんになる前に、捕食されるか、心不全や怪我で死ぬからです。DNAが壊れるまで長生きしたために、ヒトはがんで苦しむようになってしまった。本来の寿命を超えて「長生きしすぎ」だと言えるかもしれません。

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生殖が終わった個体が生きていても子孫は増えず、がんに侵されるリスクが高まってしまう。一見すると老後にはデメリットばかりです。にもかかわらずヒトの老後が長いのは、生殖を終えた後も長生きする個体が集団内にいた方が、ヒトという種の生存に有利だったからです。

生物学には「おばあちゃん仮説」と呼ばれる仮説があります。ヒトの赤ちゃんは生き物の中でも特に手がかかるため、産後の母親にとって子育ての負担は非常に大きい。

そこで活躍するのが、すでに閉経したもののまだ元気で、なおかつ育児の経験が豊富なおばあちゃんです。祖母が子育てを手伝えば母親の手間は激減し、次の子どもを産む余裕も出てくるでしょう。こうして自身が生殖を終えた後も、出産以外の方法で集団の繁栄に貢献できる個体が現れました。

育児の負担の大きさだけでなく、進化の過程で突然変異によりヒトの祖先が体毛を失ったことも、長い老後に関係していると考えられます。同じ霊長類で遺伝子的にはヒトとわずか数%しか違わないにもかかわらず、ゴリラやチンパンジーには老後がありません。毛がある霊長類の赤ちゃんは親の毛をつかんでぶら下がるため、親は子守り中も両手が使えます。

しかし毛がないヒトは子どもを抱くと両手が塞がり何もできません。進化の過程で毛を失ったヒトには、代わりに子どもの面倒を見てくれる年長者の助けが必要だったのです。

社会が年寄りを求めた

ヒトの生存に貢献したのは、なにも年長の女性だけではありません。集団が大きくなり社会が発展していくにつれて、男性を含む経験豊富な「シニア」の役割はますます大きくなっていきました。

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ヒトの祖先から毛が抜け始めたばかりの頃は、おそらく力が強くて体も大きい若いオスが集団内で主導権を握っていたことでしょう。しかし社会が複雑になると、力よりも知恵や技術がモノを言います。どこに行けば食料が手に入るか、冬の寒さはどうすれば乗り越えられるのか、知識や経験が豊富な個体ほど、集団が直面する課題に対して適切な答えを出せます。そこで長生きのシニアが活躍し始めました。

また集団が大きくなると、食料や資源の配分をめぐって喧嘩が起こります。その際も現役から退いた年長者の方が、一歩引いた立場からより公平な裁定を下して、争いを収められたはずです。

子どもを産んで集団の維持に直接貢献することはなくても、そういった「調整役」として公共的な役割を果たすシニアが集団内にいた方が生存に有利だったからこそ、ヒトには老後という期間ができたと考えられます。

興味深いことに、最近では人に飼われているペットも「老後」を迎えています。もともと犬も猫も家畜化される前は野生動物で、野生の犬であるオオカミや西表島のイリオモテヤマネコのように、その死に方はピンピンコロリでした。しかし最近ではペットフードが改良されて栄養状態がよくなり、激しく動き回ることもなくなりました。

その結果、本来の寿命を超えて長生きするペットが増え、認知症やがんなど野生では考えられない病気にかかるようになった。いわば人間的な生活を送ることで死に方もヒトに近づき、必要性とは無関係に「老後」が生まれたのでしょう。

後編記事『高齢者は本当に「老害」なのか…?最新研究によってわかった、ヒトが老いても「生きている意味」』に続く。

「週刊現代」2023年7月29日・8月5日合併号より

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