先人の思い詰まった島の宝 与路島(鹿児島県瀬戸内町)

石垣の連なる与路島の集落。現在人口は約60人

石垣の連なる与路島の集落。現在人口は約60人

鹿児島県の奄美群島の有人島で最も小さい与路島は、奄美大島の南に位置する1島1集落の島だ。かつて琉球王国ともつながりが深く、琉球王国が編纂(へんさん)した歌謡集『おもろさうし』には、「一、勝連が 船遣(や)れ 請 与路は 橋 し遣り 徳 永良部 頼り成ちへ みおやせ 又 ましふりが 船遣れ」とある。与路島が海上交通の要衝だったことをうかがわせる歌だ。 琉球神道の祭司であるノロ(祝女)に関する言い伝えが多く残り、昭和50年頃までは年間を通してさまざまな祭祀(さいし)が執り行われていた。集落には祭祀を行っていた「ウンミャー」と呼ばれる広場や土俵、神の通り道とされる「カミミチ」などが残る。

与路島の特徴的な集落景観は、大半の民家を囲うサンゴの石垣だ。平成21年に、「涼を呼ぶサンゴの石垣」と題して国土交通省の「島の宝100景」に選定されている。昭和34年頃まで、石垣となるサンゴの石を集落総出で海に行って採集し、通船(つうせん)という舟で運んでいた。こうした共同作業は「ユイワク」と呼ばれ、島の暮らしは一つの共同体として営まれていた。

平成21~26年にサンゴ石垣景観の修復が行われた記念碑

平成21~26年にサンゴ石垣景観の修復が行われた記念碑

石の積み方には個人の技量による個性が見られ、一つ一つ味わい深い趣がある。先人の思いが詰まった石垣は島の貴重な文化財だ。昭和30年頃、農業に関わる環境整備に伴って島にコンクリートのブロック塀が入り、サンゴの石垣造りは行われなくなった。

島の植生は、ソテツが多く見られる。ソテツは南西諸島に自生し、食料不足の際には救荒植物となった。与路島では換金作物としても利用され、他の食料との物々交換の対象となり、島の暮らしを支えてきた。

昭和40年頃まで、正月の仕事始めにソテツを植樹し、その後で祝いをする習わしがあったそうだ。ソテツの幹からデンプンをとって焼酎を造ったり、ナリというソテツの実でみそや菓子を作ったりもしていた。現在は人口が減少し、伝統や文化を継承することが難しくもあるが、島で見られる景観の端々に長い歴史の物語が聞こえてくる。

真夏は、一夜限り咲くという幻の花、サガリバナが見頃を迎え、旧暦8月は見応えのある奉納相撲が行われる豊年祭と、そのフィナーレを飾る八月踊りが見られる。にぎやかさを取り戻す夏のひと時、奄美群島の小さな島へ再び行ってみたい。

アクセス 奄美大島の古仁屋港から船で

プロフィル 小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。

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