インタビューに答える市川健一さん=4日、鹿屋市輝北
鹿児島県日置市吹上浜で1978(昭和53)年、市川修一さん=当時(23)=と増元るみ子さん=同(24)=が北朝鮮に拉致されてから、12日で45年となった。家族の高齢化と事件への関心の低下が進む中、日本政府は北朝鮮に対話に応じるよう働きかけているが、目立った進展は見られていない。市川さんの兄健一さん(78)=鹿屋市輝北=に、政府への評価や北朝鮮にいる家族への思いを聞いた。
■市川健一さん(78歳)=鹿児島県鹿屋市輝北
-45年目の夏を迎えた。
「今年も『ただいま』という言葉を聞けないのが無念だ。早く会い、亡くなった両親の分まで抱きしめてあげたい」
「45年もの間、何とかならなかったものなのか。北朝鮮が修一を『死亡』と伝えたり、世間でいろいろ言われたりと落胆することもあったが、何事もプラス思考で捉えてきた。何としても救出しなければいけない、という一念で闘い続けてきた。絶対に諦めるわけにはいかない」
-家族会は運動の新しい方針を示すなど、活動を活発化させている。
「北朝鮮は各国の経済制裁や自然災害の影響で食糧不足が深刻になっていると聞く。北朝鮮側も5月、『両国が会えない理由はない』とする談話を公表した。まだ先行きは見通せないが、今が拉致解決の大きなチャンスだ」
-岸田文雄政権の評価は。
「昨年から期待感を持っている。岸田首相は集会で『拉致問題は時間的制約のある人権問題』と発言した。新型コロナウイルスが落ち着いたこともあり、交渉できる環境が整ってきたのではないか」
「北朝鮮を動かすにはトップ会談しかない。金正恩朝鮮労働党総書記も、心が変わることはあるはずだ。まずは会って対話することが重要。党派を超えオール日本で臨むべきだ」
-講演や署名活動に精力的に取り組んでいる。
「中学校での講演後に、生徒の一人が近寄って『頑張ってください。応援しています』と声をかけてくれた。このシンプルな言葉が私たちを奮い立たせてくれる。45年間頑張ってこられたのは国民の皆さんの励ましがあったから。長い月日がたって、この未曽有の事件を忘れられるのが一番怖い。政府がしっかりと交渉に臨み、被害者が祖国の土を踏めるまで後押しをしてほしい」
-修一さんに伝えたいことは。
「あなたたちを取り戻すため、家族は苦しみながら闘っている。必ず助け出すから、体に気を付けて待っていてほしい」
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