城跡の堀彩るハスの花…西郷さんは見てなかった! 専門家「密偵が身を潜める。ありえない」 植えたのはいつ? 誰?

鹿児島城跡の堀に咲くハスの花と御楼門=13日、鹿児島市城山町

 鹿児島城跡の堀に咲くハスの花と御楼門=13日、鹿児島市城山町

〈関連〉明治5年の明治天皇行幸を描いた絵。鹿児島城の堀にハスは見当たらない=鹿児島市の黎明館

 〈関連〉明治5年の明治天皇行幸を描いた絵。鹿児島城の堀にハスは見当たらない=鹿児島市の黎明館

 鹿児島城跡(鹿児島市)の堀を彩るハスの花。御楼門や石垣とマッチし、情緒ある雰囲気を演出する。きっと島津斉彬ら歴代藩主や、西郷隆盛といった薩摩の偉人たちも癒やされたことだろう。と思いきや、調べてみると意外な事実が浮上した-。
 鹿児島城は関ケ原の戦い後の慶長6(1601)年ごろ、初代薩摩藩主の島津家久が築城。明治時代の廃藩置県まで島津家の本拠地だった。
 「江戸時代に堀のハスはなかった」と語るのは、黎明館学芸課の西野元勝さん(38)。そもそも、堀は城を守るための施設で、ハスがあると侵入する敵や忍びが身を隠す場所になってしまう。ただでさえ、幕府に警戒され、密偵が潜入していたとされる薩摩藩。「防衛上、植えることは考えられない」という。
 同館ロビーには、明治5(1872)年6月、明治天皇が鹿児島行幸で、石橋を渡って御楼門に向かう様子を描いた絵の模写が展示してある。ちょうどハスの花が咲く時季だが、堀は水をたたえているだけ。この時代にもハスはなかったようだ。
 ではいつからあったのだろう。一説には、城跡にあった第七高等学校造士館の先生が植えたという。明治34(1901)年から2年間、数学教師や教頭を務めた丹下丑之助が、「堀に蓮(はす)を植えた」との記録がある。ちなみに丑之助は、女性で初めて帝国大学に入学した化学者丹下梅子の兄だ。
 西野さんは「実は御楼門とハスを一緒に見られるのは今の時代だけ、という視点でも楽しんで」と語った。

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