戦国時代は「室町時代末期」
私たちは戦国時代という言葉を当たり前のように使っていますが、実際にはいわゆる戦国時代というのは室町時代の一部です。
よって、戦国時代の始まりをどの時点と見るかは、人によって異なります。最も早いのは、1438年に関東地方で鎌倉公方と関東管領が衝突した永享の乱であるという説です。その次は、1454年に起きた享徳の乱です。
もっと遅いものとしては、細川政元によるクーデターが起きた1493年の明応の政変だという説もあります。一般的にはこれらの間の、1467年から始まった応仁の乱の前後からゆるやかに戦国時代はスタートしたと考えられています。
では、この1438~1493年の間に、世の中が乱世となるような、どんな出来事があったのでしょう。
権威を失う足利家
歴史が戦国時代へと突入していった一番の原因は、室町幕府の権威が失われていったことです。
室町幕府できちんと安定した政治がおこなわれていたのは三代将軍の足利義満までで、それ以降の11人・12代の将軍はほとんど安定した政権を持つことができませんでした。
それを最も象徴するのは、六代将軍・義教がくじ引きで将軍に就任したことでしょう。しかも彼は1441年の嘉吉の変で家臣に暗殺されており、将軍の権威の低下がはっきりとみて取れます。
さらに、室町時代には通算で十年以上も将軍が存在しない時期がありました。これに伴って、将軍の部下だった管領や守護大名が力をつけていき、将軍は傀儡化し、政治は将軍以外の人間によって動かされていくようになります。
織田信長の果たした役割
こうして、室町幕府の支配力はごく一部の地域にしか及ばなくなりました。
さらに政治の実権も細川氏、三好氏、そしてかの松永久秀に移行していきます。加えて、全国各地で守護代が守護大名を追放するなど、いわゆる下剋上の動きが活発になりました。
将軍家も家臣も無秩序な状態になれば、今度は国人衆や農民のレベルでも騒乱が頻発します。代表的なのは山城国一揆、本願寺の門徒による加賀一向一揆です。後者は守護大名を倒して、その後百年も大名がいないという状態を作り出すほどの勢いでした。
この中からまず伊勢宗瑞(北條早雲)が登場し、日本史上初の「戦国大名」として伊豆一国を奪い、小田原城を乗っ取りました。
その後、戦国の世を勝ち上がっていった織田信長によって、1570年代から室町幕府は解体されていきます。このあたりから、ようやく戦国時代は収束の兆しが見え始めます。
つまり織田信長というのは、歴史的には室町時代にとどめを刺した存在だったと言えるでしょう。
こうして見ていくと、戦国時代というのは室町時代末期の状況のことを指し、権威を失った幕府の、その権威と統治システムが解体されていく過程だったことが分かります。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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