65年間で北へ17キロ…知覧が鹿児島県の“真ん中”に 奄美の人口急減が影響か

鹿児島県の「真ん中」になった知覧には茶畑が広がっている
鹿児島県の「真ん中」になった知覧には茶畑が広がっている
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 鹿児島県の真ん中はどこ? 
「人口の重心」という観点でいえば、南九州市知覧町東別府だ。2020年の国勢調査(国調)を基に総務省統計局が割り出した。日本に復帰した奄美群島を加えて初めて行われた1955年国調以降、65年間で北へ約17キロ移動した。群島の人口急減などが背景にあるとみられる。
 人口の重心は、県民それぞれの体重が等しいと仮定し、県全体で釣り合いがとれる地点を指す。鹿児島の重心は前回の2015年国調に比べ、北北東に643メートル動いていた。
 南北600キロに及ぶ鹿児島の人口は、全体の4割弱約59万人が住む鹿児島市の存在もあり、北部に偏っている。このため、重心も北方向に引っ張られ、薩摩半島付近にあるのが常だ。
 1955年国調によると、当時の重心は、頴娃町別府(現・南九州市)の沖合約5キロだった。2005年に計算方法が変わり単純比較はできないが、1960年国調で一時南下、65年以降は北上を続けている。
 統計局の担当者は「単純に考えれば、重心は人口の減少率が大きい方から小さい方へ移動する」と指摘する。実際、55年と2020年の人口を比べると、奄美の49.2%減に対し、それ以外の地域は19.3%減。今後も奄美の人口の減り方が激しければ、重心はさらに北へ向かう可能性がある。
 奄美の日本復帰前の1950年国調によると、当時の重心は鹿児島市下荒田町の海上(現・同市錦江町の甲突川河口付近)にあった。
 統計局は20年国調に基づく人口の重心を今月17日に発表した。都道府県のほか、市区町村分もホームージで紹介している。

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