そうだったの!?七福神のなかで日本の神は一人だけ?知っているようで知らない七神の由来とは

そうだったの!?七福神のなかで日本の神は一人だけ?知っているようで知らない七神の由来とは

日本由来の神は一人だけ

12月もあっという間に進み、すっかり年の瀬ですね。元旦からの初詣の企画もされている方も多いでしょう。このときだけ七福神巡りをする方もいるのでは? 一年に一回、ご利益に預かりたいものです。

ちなみに七福神のお名前をすべて言えますか?

「布袋、毘沙門天、福禄寿、寿老人、大黒天、弁財天、恵比寿」

ですね。

この七福神、神社によく祀られていますが、お寺にも祀られているような…一体仏教由来なのか神道の神なのか、疑問に思ったことはありませんか?

それもそのはず、実は、この中で日本由来の神様はなんと一人だけなんです!

それは恵比寿! 恵比寿様だけが神道由来の神様なんです。

七福神(月岡芳年、1882年)

様々な歴史の由来を持つ神が、日本に伝わる際に他の神と習合したり役割が変化して、七福神として崇められるようになったのですね。

では、他の神は元々はどのような宗教の由来なのでしょうか?

一人ずつ紐解いていきましょう。

  • 恵比寿…神道由来の神
  • 大黒天…ヒンズー教のシヴァ神と、日本の神様・大国主命の習合
  • 毘沙門天・弁財天…ヒンドゥー教の神
  • 福禄寿・寿老人…中国・道教の神
  • 布袋…仏僧。菩薩の化身ともいわれる
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    七福神それぞれの由来

    恵比寿伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)か、「事代主神」(コトシロヌシ)を祀ったもの。蛭子は手足がないため海に流されてしまいましたが、海の神となって摂津国に流れ着き、夷様として祀られるようになりました。漂着物をえびす神として信仰する日本沿岸地域が多いといわれています。

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    大黒天インドのヒンドゥー教の最高神・シヴァ神と、日本の「国造り」を行った大国主神の習合。
    比叡山延暦寺を開いた最澄が、毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を台所の守護神として祀ったのが始まりで、それが民間に広まったと言われています。室町時代になると日蓮宗でも盛んに信仰され、民間では「大黒さん」として親しまれるようになりました。しかし何故習合されたのかは、はっきりとわかっていません。

    毘沙門天…インド神話の富と財宝の守護神で、ヒンドゥー教ではクベーラ神といわれています。仏教に取り入れられてからは仏法を守護する「天部衆」の一人になり、戦いの神として信仰されるようになりました。日本では毘沙門天と呼ばれています。

    弁才天(弁財天)…インドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。元々は聖なる川の化身でしたが、流れていくものの象徴として芸術・学問・弁舌の神となりました。仏教に取り入れられたあとも、同じようなものを司る天女となりました。川の化身ということもあり、水辺に祀られることが多いようです。

    福禄寿南極老人星を神格化した道教の神です。寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらすとされています。ちなみに南極老人星とは、カノープスと命名されている恒星で、1等星の一つ。シリウスに次いで全天で2番目に明るい星です。

    歌川国芳やめぇwww 七福神の福禄寿の頭をネタにした「福禄寿あたまのたわむれ」が最高すぎる!

    先の記事でも紹介しましたが、人々から親しみ愛されている神様といったら七福神。[insert_post id=88240]七福神は福をもたらしてくれる神様として信仰されており、全国にたく…

    寿老人同じく道教の神で南極老人星の化身。酒を好み頭の長い長寿の神とされています。
    このカノープスという星ですが、紀元前97年・中国最古の歴史書である『史記』では、「この星が現われた時は天下泰平となり、現われないと兵乱が起こる」と書かれています。吉兆の星なのですね。

    布袋唐の末期、明州に実在したといわれる仏教の禅僧で、出身地も俗姓も不明。常に頭陀袋(僧侶が托鉢する際の袋)を背負っていたことから布袋と呼ばれるようになったといいます。寺に住まず、方々を歩きながら修業したといいます。いつしか菩薩の化身と崇められるようになりました。

    ではなぜこれらの神が一括りにされたのでしょうか。

    毘沙門天は、平安時代以降に信仰が盛んになり、そこに恵比寿・大黒を加えて三神が篤く信仰されていました。そして室町時代に中国から仏教の布袋、道教の福禄寿・寿老人が伝来します。

    それらをまとめて「七神」と崇め始めたのは、近畿地方から始まったといわれていますが、はっきりとわかっていません。

    しかし仏教の一つ大乗仏教の経典『仁王般若経』の中に、「七福促進 七難減退」という言葉が書かれていることから、この考えが基となってご利益のある神があてはめられていったとも考えられています。

    この「七福促進 七難減退」とは、教えを信じて教え通り行いをただせば、七つの厄災を払い七つの幸福が手に入るという指南です。
    方々の庶民の間で篤く信仰されていた神を「いっそのこと、まとめて信仰すればご利益も高まるよね?」というノリで、自然と始まったのかもしれませんね。ともかくも、さまざまな由来の神を衝突させることなく受け入れるストライクゾーンの広さが、日本らしいですね。七福神はまさにその象徴ともいえます。

    参考:マンガで教養やさしい仏像(朝日新聞出版)ほか

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