存在しないはずだった…飛鳥時代の「暗文土師器」が鹿児島で初確認 大和政権の影響勢力、指宿に存在か 尾長谷迫遺跡から出土

県内で初めて確認された暗文土師器(指宿市教育委員会提供)

 県内で初めて確認された暗文土師器(指宿市教育委員会提供)

県内で初めて暗文土師器が見つかった尾長谷迫遺跡。奥には知林ケ島が見える=2023年12月撮影、指宿市西方(指宿市教育委員会提供)

 県内で初めて暗文土師器が見つかった尾長谷迫遺跡。奥には知林ケ島が見える=2023年12月撮影、指宿市西方(指宿市教育委員会提供)

【地図】尾長谷迫遺跡の位置を確認する

 【地図】尾長谷迫遺跡の位置を確認する

 鹿児島県指宿市の尾長谷迫(おばせざこ)遺跡で、7世紀中ごろ、飛鳥時代の「暗文土師器(あんもんはじき)」と呼ばれる土器が鹿児島県内で初めて見つかった。古代国家・大和政権の都があった畿内地域の影響を受けた土器とされ、これまでの南限は宮崎県だった。鹿児島県内では政権と衝突した隼人が暮らしており、専門家は「県内には存在しないと考えられていた。政権と何らかの関係を持つ勢力が指宿にいたことを示す」と注目している。
 暗文土師器は元々は都の「畿内産土師器」を模倣したもので、器の内面には大陸から流入した金属器の光沢を表現した放射状の線が施されている。政治施設である「官衙(かんが)」に関連する遺跡から見つかるケースが多く、国立歴史民俗博物館研究部の林部均教授(考古学)は「古代国家、都の存在を示す象徴となる土器。国家と関わりがあった地域でのみ出土する」と解説。これまでは西都市にある日向国府跡の寺崎遺跡と水運関連施設の宮ノ東遺跡が南限とされていた。
 指宿市教育委員会によると、今回見つかった土器は口径17.1センチ、器高6.4センチ。7世紀後半に噴火した開聞岳の噴出物(青コラ)の下の地層から、南九州特有の成川式土器と一緒に割れた状態で出土した。
 古代南九州は隼人と呼ばれた民が独自の暮らしを営み、中央から離れた周縁部と位置付けられていた。7世紀末から8世紀前半にかけ、国家体制を整える政権側が隼人に圧力をかけたため、両者の間で武力衝突に発展した。
 南九州の古代史に詳しいラ・サール学園講師の永山修一さんは「政権は隼人を異質な存在とみなしたが、最初から両者の関係性は『没交渉』ではなかったのではないか。単純な対立構造ではない可能性もある」と話す。遺跡は鹿児島湾に面する高台で、大隅半島や湾奥の沿岸部を一望でき、ここを抑え、かつ政権とのパイプを持つ勢力の存在も考えられるという。
 見つかった暗文土師器は1月中旬ごろから、時遊館COCCOはしむれ(指宿市)で期間限定で展示する。発掘は2027年度まで続く予定。市教育委員会の松崎大嗣さんは「暗文土師器の性質上、指宿に政治的な施設があった可能性もある。今後の調査で明らかにできれば」と話した。
【尾長谷迫遺跡とは】
 市道のり面改良工事に伴い、2020年度から発掘が始まった。これまで数万点の土器や、古墳時代の集落跡が確認されている。一帯では昭和末の畑かん事業に伴う発掘で古墳時代の遺構も見つかっている。

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