歴史

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菅原道真を太宰府に左遷し、死に追いやった真犯人とは? 「政治的状況からその真相に迫る」

エピローグ ~昌泰の変とは~画像:菅原道真 wiki c901(昌泰4)年1月25日、時の右大臣・菅原道真は、突如太宰権帥に左遷された。道真は、1月7日に醍醐天皇より従二位を賜ったばかりだった。この左遷劇に老境に差し掛かっていた57歳の道真...
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薩摩藩vsイギリス「薩英戦争」実は善戦していた薩摩藩!そのうえイギリスとも仲良しに

薩英戦争とは幕末期の日本で薩摩藩と言えば、誰もが「長州藩とともに討幕を推し進めた攘夷派の代表格」というイメージを持っていることでしょう。しかし、そんな薩摩藩の動向をつぶさに見ていくと、実際には最初から討幕派でもなかったし、攘夷についても途中...
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西郷どん、大久保どん、尽きぬ関心

西郷隆盛の逸話とそれにまつわる絵画や遺品を展示した会場=鹿児島市上竜尾町、町田正聡撮影明治維新の立役者、西郷隆盛と大久保利通。鹿児島が生んだ2人の英傑への関心は尽きない。12月も企画展や講演会が相次いだ。(ライター・町田正聡) 西郷隆盛にま...
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存在しないはずだった…飛鳥時代の「暗文土師器」が鹿児島で初確認 大和政権の影響勢力、指宿に存在か 尾長谷迫遺跡から出土

県内で初めて確認された暗文土師器(指宿市教育委員会提供) 県内で初めて暗文土師器が見つかった尾長谷迫遺跡。奥には知林ケ島が見える=2023年12月撮影、指宿市西方(指宿市教育委員会提供) 【地図】尾長谷迫遺跡の位置を確認する 鹿児島県指宿市...
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泳げない15歳の少年兵は「おかあーさん」と叫びながら沈んだ…「戦艦武蔵」生還兵の忘れられない光景「おれたちをここまで追いつめたものは、何なんだ」

1944年10月、世界最大の戦艦「大和」の姉妹艦「武蔵」は、レイテ沖に向かう途上撃沈された。武蔵が沈んだとき、乗組員たちはどうなったのか。武蔵に乗船し、沈没から生還した渡辺清さんが遺した戦記文学『戦艦武蔵の最期』(角川新書)より一部を紹介す...
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戦争の無謀さを見通し、太平洋戦争「開戦初日」に「自爆」して死んだパイロットの最期の様子

私が今年(2023年)7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を...
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あまりに非人道的な兵器「人間爆弾」を発案した男は、名前も戸籍も失い戦後も生きていた

私は今夏(2023年)、『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』(小学館)という本を上梓した。大戦中、「人間爆弾」と呼ばれる特攻兵器「桜花」を発案し、戦後は戸籍も名前も失い、別人として生きた大田正一とその家族の数奇な運命を描いたノンフィクシ...
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薩長同盟、実は「倒幕はしない」同盟だった!?真の目的と本当の敵は誰だったのか?

「倒幕はしない」同盟だった?幕末の歴史物語の名シーンとして語り継がれているのが、薩長同盟が結ばれたシーンです。薩長同盟とは、それまで犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩が、いがみ合っていた過去を水に流そう、そして同盟を結ぼうということで1866年に...
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「日本に帰る」はずの列車は反対方向へ。着いたのはモスクワ近郊の収容所。ソ連の看守はよく言っていた。「日本人はよく働く。ドイツ人は働かない」と【証言 語り継ぐ戦争】

入隊前日に撮った写真には「生命奉還」と書かれた国旗を持つ井上正己さんが写る=薩摩川内市高城町 ソ連の収容所で防寒のため身に付けていた外とうと帽子 ソ連の収容所で使っていた飯ごう。「井上少尉」と名前が書かれている■井上正己さん(100)=鹿児...
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関ヶ原の戦いで家康軍に向かって敵中突破した、島津義弘が辿った生涯|捨て身の戦法「島津の退き口」の真相【日本史人物伝】

はじめに-島津義弘とはどんな人物だったのか?島津義弘といえば、関ヶ原の合戦時、敵陣への正面突破という捨て身の戦法で難を逃れたことを思い浮かべる方が、多いのではないでしょうか? 島津義弘とは、実際どのような人物だったのでしょうか? 史実をベー...